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助けるという意味を真剣に考える

介護の仕事を退くことを決めた時から、改めて介護という仕事って何なんだろうということを考えるようになりました。もちろん介護の仕事に対して未練があるとか後悔しているということは全く無く、むしろやりきったと言いますか、現状と自分との考え方のズレが日に日に大きくはなっていたので、今はどっぷりとハマって来た業界を、


少し俯瞰として見られるようになったというのは事実です。



もちろん考え方というのは人それぞれですので、どれが正しい、正しくないということを話すことではないんだとは思っています。ですが人の考え方においてスレが生じたときというのは、その考え方の良し悪しの判断基準となるのは自分ではなくて、相手方になるということになるわけです。かっこいいい言い方をすると、私は介護のプロから引退しました。もちろん仕事に対しての想いというのは違いますので、同じ業界にいる方が自分をプロと認識しているかどうかは分かりません。ですが自分自身がプロと認識している人間とそうではない人間の圧倒的な差というのは、



その言葉に力があるかどうかで、これは本当に一目瞭然の差が生まれるわけです。



それぞれの向き合い方ですから、プロだろうがアマチュアだろうがそんなことはどうでもいいのですが、業界を離れてみて改めて「助ける」って何なんだろうということを考えるようになりました。介護ということに限定した話ではないのですが、様々な状況の中で助けるという言葉は使われます。助けるという意味というのは、簡単に言いますと、「苦しみ困っている者や忙しい者に対して、また仕事・働きに対して、力を貸し、不足を補って、うまく行くようにする。」という意味になります。介護の仕事から離れてみて、


自分が助けるということを軽く考えていたなと思うようになりました。



助けるという言葉は、本当に身近な言葉として使われます。「何かあった時は言ってね。助けるから。」なんていうニュアンスというのは、一般的な会話として結構な頻度で使われています。ではこの助けるという言葉に、どれくらいの重みがあるのかということを考えた時に、本当に軽い気持ちでしか言っていないなと感じています。


だってその言葉に責任なんて持ってないですから。



人が困っている時に助けるということは、確実に自分自身がそのことを出来ていなければ助けることなんて出来ません。もちろん助けるという状況の大きさによって意味が違うということは分かっています。私は自分がプロとして自覚を持っているとした時に、助けるという言葉の重みを理解していかなければならないのではないのかと思っています。その職業についたからプロだとか、ちょっと経験や知識がついたからプロだとかという甘いものではありません。


常に自己研鑽して、自分自身に謙虚になって精進していける人間でなければ、人を助けることなんて出来ません。



自分の能力に満足した時点で、人のことを助けているつもりにしかなっていないんです。
これはどんなことでも同じで、助けることが出来る人間というのは、その分野にしっかりと精通していなければ駄目なんだなと、改めて勉強するという大切さが身にしみています。

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