変わったことと、変わらないこと。【適応障害】

前回更新してから、しばらく期間が空いてしまった。

結論から申し上げると、現在もなお適応障害にて休職中である。
症状は、少しずつ改善されているものの、まだまだ完治にはほど遠い。


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先日、休職後はじめて会社の人と面談することとなった。
一番よくしてもらった主任と、2人で。

全国チェーン展開しているカフェに、午後2時に待ち合わせをした。

前日、上手に話せるように自分の感情や経緯を書き出す。
そういえば、離れて忘れていたけど、こんなにもたくさん辛い思いをしてきたんだな。
改めて、1年前の自分、よく耐えていた!と思った。

きちんと準備して挑めば怖くないはずだ。
自分を励ますことで、なんとか夜眠ることができた。

とはいっても、不安な感情はおさまらず、朝はいつもよりかなり早く目が覚めた。
待ち合わせの時間まで数時間あり、どのようにして時間を潰せばいいのかわからない。
もう一度、ちゃんと話せるように昨日書いた紙を読み返す。
感情が大きく揺れたのがわかった。
気がつけば、目からは涙が溢れていた。

大丈夫、なにも泣くほどのことじゃない。

そう自分に言い聞かせながらも、涙は止まらない。

なんとか落ち着かせて、家をでた。
車を走らせる。
通勤途中にあったカフェなので、当時を思い出す。

店に着くとしばらくしてから、主任はやってきた。
「久しぶりやね」と。

すでに泣きそうなのをぐっと堪えて、”普通”を装った。

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それから、主任がおそらく上司から任命された私に聞くべきことの質問に答えた。
(なぜ、いつ、そうなってしまったのか。というような内容)

私は泣いてはいたものの、昨日練習したように、順を追って言葉にすることができた。
持っていったティッシュと小さいゴミ袋はとても役に立った。

事務員とは思えないほど、多岐にわたる業務。
それでも定時で終わらせるために走り回ったり、効率化を進めた。
同時に何名もの職員が私に声をかけることも、それが毎日続くことも苦痛であった。
私は休憩を取ることもままならないほど忙しかったのに、どんどん仕事が割り振られ増える一方であった。
おそらく2〜3人分の業務を毎日こなしていたのに、給与は誰よりも低い。
心も体も疲弊していた。
朝、起きることができなくなっていく。
通勤時には、眠ってしまう(意識が飛ぶ?)こともあり恐怖であった。
帰ってから食事を用意できなくて、まともなものを食べれない。
辞めることができないので、いよいよ死ぬしか抜け出す方法がなくなっていった。

そのようなことを話した。30分くらいだったと思う。

主任は、最初から最後まできちんと話を聞いてくれた。
それだけで充分だと思えた。

それから2時間くらい、今の会社の状況を色々と教えてもらった。
休職してから完全に情報が遮断されていたため、新鮮に感じる。

どうやら事務員が1名異動してきているようなので、業務に支障はないらしい。
心置きなく休んでいいのだ。

そして最後に、主任から
「わがままひとつ言わないで頑張ってきたんやもんね。
 もちろん帰ってきて欲しいけど、自分がどうしたいかを優先して」
とお言葉をいただいた。



自分がどうしたいか、どうなりたいか、なにをしたいか。
それは今も今までもわからない。
誰かに求められたことを、自分が出せる限りの力で頑張る以外、今までしてきたことがないのだ。

生きるって、誰のために?
頑張るって、なんのために?

頑張っても頑張ってもいいことなんて一つもない。
真摯に誠実に生きてきても、報われたことなんてない。

ただ、私は間違っていないと思う道に進めることだけが救い。



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ということで、今回の面談は無事(?)終了した。

自分の心の中で起きていることを言葉にして誰かに伝えると、どこか清々しい気持ちになることが多かったものの、今回はまったく感じることができなかった。
どこか後ろめたい気持ちがあるのかもしれない。

また少し時間をいただいたので、その間にしっかりと自分と向き合いたい。


面談以降、働くことを目標に心を整えているが、どうにも復帰は難しいかもしれない。
やはり、転職を目指したい。
そうなると、この休職期間が転職活動に大きな影響を及ぼすのではないのだろうかと、不安が増えてしまった。

考えすぎないように努力する。

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