【映画感想】私たちは「光」になれるのか 米アカデミー賞受賞作「関心領域」を鑑賞
今年の米アカデミー賞で、国際長編映画賞と音響賞を受賞したイギリス映画「関心領域(原題: The Zone of Interest)」を鑑賞した。
日本公開から約一ヶ月経った6月末。ようやく映画館に足を運べた。
さすが音響賞を受賞しただけある。「映画館で見た甲斐があった」と感じる作品だった。
以下、個人的な感想です。
これ以降の文章には、ネタバレが含まれますので、ご注意ください。
「音響」が伝える恐怖
「関心領域」とは、ナチス・ドイツで使われていた用語で、ユダヤ人強制収容所の周辺地域を意味する。
映画の主人公は、ルドルフ・フェルディナンド・ヘスと彼の家族。第二次世界大戦中、ヘスはアウシュビッツ強制収容所の所長を務め、ユダヤ人虐殺を指揮した人物として知られている。
映画の序盤では、アウシュビッツ強制収容所のすぐそばに住むヘスが、妻ヘートヴィヒや子供と幸せな生活を送る日常が映し出される。
収容所の中で起きている虐殺・残虐行為に関する直接的な表現は少ない。
しかし、平和な生活とはマッチしない「音」が遠くで鳴り響いている。
犬の鳴き声、誰かの叫び声、銃の発砲音、何かの機械音。
そして、残虐な惨状を連想させる「異音」と同じように、小さな違和感のある描写が続く。
誰のものか分からない歯を玩具代わりにする子供。ユダヤ人を「積荷」と表現するドイツの技師。
窓の向こうに見える煙突の下では、ユダヤ人が大量虐殺されているのに、ヘスの家族が気に留める様子はない。なぜならば、投獄されたユダヤ人の生死に、彼らは全く関心がないからだ。
「どう抵抗すればよいのか」 クレイザー監督のスピーチ
米アカデミー賞の受賞スピーチでジョナサン・クレイザー監督は、あらかじめ用意していた原稿を読み上げた。(翻訳の参照:英BBC日本版)
パレスチナ・ガザ地区での戦争について言及したクレイザー監督のスピーチは賛否双方の立場から非難や賛同が続出した。
監督の真意はともかく、映画を鑑賞した後に受賞スピーチを聞いた筆者は、「映画に描かれたヘスの家族と、あなたは何が異なるのか?」と監督に迫られた気がした。
強制収容所がなくなった現在も、人間性を奪い去る行為は世界中で横行している。
自分の利益だけを重要視して、「壁」の向こうにある厳しい現実から目を背けていないか。
「私たちはどう抵抗すればいいのか。 How do we resisit」
無関心と利己心が産んだ残虐性に対する監督からのメッセージが胸に刺さった。
私たちは「光」になれるのか
クレイザー監督は受賞スピーチの最後に、ある女性の名前を口にした。
ホロコーストの目撃者であるアレクサンドラ・ビストロン=コウォジェジク氏(以下、アレクサンドラ氏)。
1927年にポーランドで生まれた彼女は、ナチスドイツに抵抗する地下組織「Union for Armed Struggle」に12歳の若さで参加。アウシュビッツ収容所の囚人に食べ物を密かに渡した経験がある人物だ。
英ガーディアン紙の報道によると、アレクサンドラ氏は、赤外線カメラで表現されたシーンに登場する少女のモデルとなった女性でもある。
彼女が実際に乗っていた自転車や、当時来ていた服も映画で使われているという。
アレクサンドラ氏に出会った時期、クレイザー監督は大きな悩みを抱えていた。あまりにも残虐な歴史的事実を前に、この題材で本当に映画を作りきれるのか、心が定まっていなかったという。
そんなクレイザー監督の心境に変化を与えたのが、アレクサンドラ氏だった。ガーディアンの取材で彼女に対する思いをこう表現している。
クレイザー監督が暗闇の中で見つけた光。それは、絶望的な状況を前にしても、囚人を支え続けた少女の勇気だった。
翻って、現代社会に住む私たちは、一体どれだけの人が彼女のような光になれるのか。
光になるための勇気を振り絞るには、まず私たち自身が密かに抱く「関心領域」を、明確に認識することが不可欠だろう。