
【チャイニーズファンタジー】中国の怖くない怪異小説 第6話「名剣の仇討ち」
名剣の仇討ち
楚の国に、干将(かんしょう)と莫邪(ばくや)いう夫婦の名剣工がいました。
楚の王様から剣を作るよう命じられましたが、鋳造に三年もかかってしまいました。
死を覚悟した干将は、身重の妻莫邪に、こう告げました。
「剣を作るのに三年もかかってしまった。わたしは、きっと王様に殺されるだろう。もし、お腹の子が男の子ならば、大きくなったら、こう伝えよ。
出戶望南山、松生石上、 劍在其背。 (戸を出で南山を望めば、松、石上に生え、剣は其の背に在り) 」
そして、雌雄ふた振りのうち、雌剣を王様に献上しました。
王様が剣を鑑定させると、雌剣だけが献上されたとわかり、王様は、激しく怒り、即座に干将を処刑しました。
その後、莫邪は、男の子を生んで、赤(せき)と名付けました。
大きくなって、赤は母に尋ねました。「ぼくの父さんは何処にいるの?」
莫邪は、赤の父親が王様に殺されたことを教えました。
父親の残した言葉を伝えると、赤はそれが隠語であることに気付き、
「南向きの部屋の土台石の上に立つ松の柱の裏側」を斧で打ち破り、
そこに隠されていた雄剣を手に入れました。
「必ず父の仇を討つ」と、赤は固く心に誓いました。
王様の夢の中に、一人の子どもが現れました。
子どもは「仇を討つぞ! 仇を討つぞ!」と叫んでいます。
正夢を恐れた王様は、子どもの首に千金の懸賞金を掛けました。
それを知った赤は、山に身を隠し、悲しげに歌いながら歩いていました。
するとそこに、一人の侠客が現れ、赤に声を掛けました。
「お前さん、まだ幼いのに、どうしてそんなに悲しんでいるのじゃ?」
赤、「僕の父さんが、王様に殺されたんです。僕は、仇を討ちたいのです」
侠客、「ならば、お前の首と雄剣をわしに渡しなさい。わしが代わりに仇を討ってやろう」
赤、「ありがたき幸せ!」
と言うやいなや、赤は、スパッと自分の首を刎ねました。
両手に首と剣を捧げ持って、身体は立ったまま硬直しました。
「約束は必ず守る」と侠客が言うと、ようやくバタッと倒れました。
侠客は、赤の首を手土産に、王様に謁見しました。
侠客は、こう進言しました。
「これは勇者の首にございます。ぜひとも釜で煮崩さねばなりませぬ」
王様は、侠客の言に従って、釜ゆでにしましたが、三日三晩煮続けても、
首は煮崩れません。
首が釜の湯から跳び上がり、カッと目をむいて、王様をにらみつけます。
侠客、「王様、どうかじきじきに釜の中をご覧くだされ。さすれば、王様の霊力で、必ず煮崩れましょう」
王様が釜をのぞき込むと、侠客は、ピタッと王様の首に剣を当てました。
そのままスッと剣を振り下ろすと、首はポロッと釜の中に落ちました。
すると、侠客もまた自分の首に剣を当て、スパッと振り下ろして、首を釜の中に落としました。
赤と王様と侠客、三つの首がいっしょに煮崩れ、どれが誰のものか、わからなくなりました。
そこで、煮崩れた肉汁を三つに分けて埋葬し、人々は、まとめて「三王墓」と呼ぶようになりました。
【出典】
東晋『捜神記』
【解説】
この話は、名剣物語であり、復讐物語であり、義侠物語でもあります。
また、親の仇討ちは「孝」を実践することですから、この話は、孝子物語という要素も持ち合わせています。
中国の皇帝や王侯は、死後も栄華が続くことを願い、とりわけ葬儀や埋葬を重んじました。始皇帝の兵馬俑や明の十三陵などは、その良い例です。
楚王にとって、遺体が他人のものと混ざってしまう、しかも自分が懸賞をかけた小僧のものと混ざってしまうのは、この上ない屈辱です。赤は、正に最大級の復讐を遂げたことになります。
本記事は、『捜神記』から採録しましたが、干将莫邪の物語は、『呉越春秋』『列士伝』『孝子伝』『越絶書』など、他の文献にも見えます。
なお、干将莫邪の話は、日本にも渡り、『今昔物語』や『太平記』などに収録されています。
