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【心に響く漢詩】杜甫「月夜」~愛妻家杜甫の真心

   月夜   月夜(げつや)
                           唐・杜甫(とほ)
 今夜鄜州月  今夜(こんや) 鄜州(ふしゅう)の月(つき)
 閨中只獨看  閨中(けいちゅう) 只(た)だ独(ひと)り看(み)るならん
 遙憐小兒女  遥(はる)かに憐(あわ)れむ 小児女(しょうじじょ)の
 未解憶長安  未(いま)だ長安(ちょうあん)を憶(おも)うを解(かい)せざるを
 香霧雲鬟濕  香霧(こうむ) 雲鬟(うんかん)湿(うるお)い
 清輝玉臂寒  清輝(せいき) 玉臂(ぎょくひ)寒(さむ)からん
 何時倚虚幌  何(いず)れの時(とき)か 虚幌(きょこう)に倚(よ)り
 雙照涙痕乾  双(なら)び照(て)らされて 涙痕(るいこん)乾(かわ)かん

 杜甫の五言律詩。かの「春望」と同時期に歌われたものです。

 杜甫については、こちらをご参照ください。↓↓↓

 安史の乱が起こり、玄宗が蜀へ落ちのび、その子の李亨(りこう)が霊武で即位しました。

 杜甫は、家族を鄜州(ふしゅう)三川(さんせん)県の羌村(きょうそん)に疎開させ、単身新帝の行在所に赴きましたが、途中、反乱軍に捕らえられ、長安に軟禁されます。至徳元載(七五六)、杜甫四十五歳の時のことです。

 「月夜」は、ちょうどその頃、長安で夜空の月を眺めつつ、鄜州に残してきた家族を思いやって詠んだ詩です。

今夜鄜州月  今夜(こんや) 鄜州(ふしゅう)の月(つき)
閨中只獨看  閨中(けいちゅう) 只(た)だ独(ひと)り看(み)るならん

――今夜、鄜州の夜空にも照り輝いているであろうこの月を、妻は、部屋でたった一人で見つめていることだろう。

 「鄜州」は、今の陝西省富県。長安の真北約200キロの位置にあります。

 杜甫自身は、長安の月を眺めながら、「今夜鄜州の月」と歌い起こしています。妻も今、この同じ月を眺めているにちがいない、と遠く思いを馳せているのです。あまねく天地を照らす月は、遠く離れている者同士が、互いに心を通わせる媒介です。

「閨」は、婦人の部屋。杜甫の妻、楊氏の居室を指します。
「只」は、「獨」を強調する語。夫がそばにいない妻の心細さを際立たせています。

遙憐小兒女  遥(はる)かに憐(あわ)れむ 小児女(しょうじじょ)の
未解憶長安  未(いま)だ長安(ちょうあん)を憶(おも)うを解(かい)せざるを

――遥か遠く離れていとおしく思うのは、小さな子供たちが、長安で囚われの身となっている父の身を案ずることさえできないほど、まだ幼いことだ。

 「憐」は、思いが対象の人や物と強く繋がっていることを表します。文脈によって「いとおしい」「かわいい」「かわいそう」などの意になります。

  「小兒女」は、幼い子供たち。当時、杜甫には、二人の息子と二人の娘がいました。

 「未解」は、まだ・・・できない。「解」は「能」に同じ。
 「憶」は、気遣う、案ずる。

香霧雲鬟濕  香霧(こうむ) 雲鬟(うんかん)湿(うるお)い
淸輝玉臂寒  清輝(せいき) 玉臂(ぎょくひ)寒(さむ)からん

――芳しい夜霧に、豊かな美しい黒髪は、しっとりと潤い、清らかな月の光に照らされ、玉のように白く美しい腕は、冷えきっていることだろう。

 「香霧」は、芳しい霧。「香」は、婦人の部屋に絡めた美称です。
 「雲鬟」は、豊かな髪。「雲」は、ふさふさと豊かな黒髪を形容する語。「鬟」は、わげ(束ねて輪にした髪)のことですが、ここでは、頭髪全体を指します。

 「淸輝」は、白く澄んだ輝き。月光を指します。
 「玉臂」は、玉のような腕。「玉」は、白く美しいさまをいう美称です。「臂」は、腕。普段は、上衣の袖で隠されている女性の腕が露わになって、月の光を浴びている、というのは、頬杖をついている姿勢、物思いにふける様子を暗示しています。

何時倚虚幌  何(いず)れの時(とき)か 虚幌(きょこう)に倚(よ)り
雙照涙痕乾  双(なら)び照(て)らされて 涙痕(るいこん)乾(かわ)かん

――いつになったら、薄いとばりに寄り添いながら、二人一緒に、月の光に照らされて、涙の痕を乾かすことができるのだろう。

 「虚幌」は、月光を透き通す薄絹のカーテン。
 「涙痕」は、離ればなれの間に流した、二人の涙の痕。

 果たしてやってくるのかどうかもわからない再会の日を待ち望み、その時の二人の姿を脳裏に思い浮かべています。

 第二句の「獨」の字に呼応させて用いた、最終句の「雙」の字に、詩人の切なる思いが込められています。

 「月夜」は、杜甫の妻子に対する細やかな愛情を窺い知ることのできる詩です。

 戦乱によって離ればなれになっている辛い思いを、妻の身に成り代わって歌い起こし、その妻の傍らで、何も知らずに無邪気に戯れているであろう幼子たちのことを思い遣っています。

 そして、もう若くはなく、今は憔悴しきっているはずの妻の姿を、艶やかな詩語を連ねて、精一杯美しく歌い上げています。

 ちなみに、李白にも、家族のことを歌った詩があります。「内(つま)に贈る」と題する、次のような詩です。

三百六十日  三百(さんびゃく)六十日(ろくじゅうにち)
日日醉如泥   日日(ひび)酔(よ)うて泥(どろ)の如(ごと)し
雖爲李白婦  李白(りはく)の婦(つま)為(た)りと雖(いえど)も
何異太常妻  何(なん)ぞ異(こと)ならん 太常(たいじょう)の妻(つま)に

――一年三百六十日、わしは毎日酔っぱらって泥のよう。お前は、この李白の女房とはいうものの、かの太常の嫁さんとちっとも変わらないね。

 「太常の妻」は、後漢の周沢(しゅうたく)という男の逸話が典拠になっています。周沢は、天子の宗廟の廟守で、一年三百六十日のうち三百五十九日は精進潔斎して妻を遠ざけ、残りの一日は酔って泥のようになった、と伝えられています。

 さて、李白はといえば、一年中、一日も欠かさずに毎日泥酔しています。わしの女房になってしまっては、この太常の妻と同じだね、いつもかまってやらなくてご免ね、という懺悔のような詩です。

 李白は、実際に、妻子のことは、ほったらかしのようでした。
 しかも、李白は、生涯に少なくとも4回結婚しています。

 愛情の表し方は人それぞれですが、人柄も詩風もことごとく正反対の李白と杜甫、夫としてのあり方も、見事に正反対だったようです。

 

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