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【荘子】「逍遥遊」~魚が鳥になって6ヶ月に9万里を飛んで初めて一呼吸するという話

荘子と『荘子』


荘子は、名は周。戦国時代、宋の蒙(河南省)の人。
儒家の孟子とほぼ同時代の人だ。

老子の思想を継承して道家思想を大成し、「老荘」と併称される。

その伝記は『史記』などによって知られるが、不明な点が多い。

かつて漆園を管理する役人となり、名家の思想家恵施(けいし)と親しい交遊があった。のち、楚の威王が宰相に迎えようとしたが、これを辞退し、自適の生涯を送った。

名家は、諸子百家の一つ。いわゆる論理学、概念論だ。
名実論、すなわち「名」(言語、概念)と「実」(言語が表す対象、実在)との関係を考える学問であり、今日の意味論・記号論に近い。

恵施は、魏国の宰相にまでなった政治家。
荘子と恵施の問答が『荘子』の中にしばしば登場する。
恵施の論理学は、荘子の思想に啓発を与えている。

荘子

荘子の著書『荘子』は、計33篇(内篇7、外篇15、雑篇11)から成る。

内篇は、荘子の本来の思想を伝えるものである。
中でも、「逍遙遊」「斉物論」の2篇が、『荘子』の精髄とされる。

外篇・雑篇は、荘子の後学らの手によるものと考えられている。

唐の玄宗皇帝が荘子を尊び、「南華真人」という諡(おくりな)を贈ったことから、『荘子』は『南華真経』とも呼ばれる。

『荘子』

『荘子』の文章は、人の意表を突く奔放な比喩を駆使した巧みな寓話が随所に見られる。

空想力に溢れ、諸子百家の散文の中で、最も文学性に富むものと言える。

荘子の思想


荘子の思想は、「絶対的自由」に集約される。

荘子は、老子を受け継ぐものとされ、「老荘思想」と一括りで呼ばれるが、両者の間には、大きな差異が認められる。

老子は、形而上学的ではあるが、他の諸子百家と同様に、基本的には政治論であり、天下を治める法を説いたが、荘子には、それがまったくない。

荘子は、一貫して、個人の安心立命と絶対的自由の精神を説いている。

「道」(タオ)を体得実践することによって、何ものにもとらわれない絶対的自由の境地に至る方法を説いた。

絶対的自由を得るための基盤となる思想が、「万物斉同」である。

荘子は、このように語る。

万物の価値の差(区別)は、いずれも人間の作為による相対的なものだ。
「道」の絶対性のもとでは、現実世界における、大小・是非・善悪・美醜・生死など、一切の対立と差別は消滅する。

そこで、全てのものを自然に(自ずから然るものとして)ありのままに認め、与えられたものをそのままに受け入れれば、そこに喜怒哀楽の情の入る余地はなく、したがって、何ものにも執着することなく、無心の境地に身をゆだねることができる。

こうして、「道」と一体化し、人為によって本性を損なうことなく、本性を全うして生きることが、人間本来のあり方である。

荘子は、老子に負けず劣らず難解だ。
難解であるのは共通しているが、両者の毛色はだいぶ違う。

老子は、抽象的な概念を抽象的なまま、何の修辞も凝らさずに、シュールな哲学的格言のような形で提示する。

一方、荘子は、抽象的な概念に文学的な修辞を施し、寓話という個々の物語の形に加工している。読み物として面白く読ませようというサービス精神がある。

「逍遥遊」を読む


「逍遥遊」は、『荘子』の巻頭の一章だ。

開巻早々、すっ飛んだ話をして、読む者の頭をパカッと開いてやる、という意図が窺える。

そうして、まず、読者に既成の常識や価値観をいったん捨て置いて、次元の違う話を聞く頭の準備をさせる、というのが目的だ。

では、どんなふうに飛んでいるか、「逍遙遊」を読んでみる。

章題の「逍遙遊」は、「何ものにもとらわれない自由気ままな境地に遊ぶ」という意味だ。

北冥(ほくめい)に魚有り、其の名を鯤(こん)と為す。鯤の大いさ、其の幾千里なるかを知らざるなり。
化して鳥と為り、其の名を鵬(ほう)と為す。鵬の背、其の幾千里なるかを知らざるなり。
怒(ど)して飛ぶや、其の翼は垂天の雲の若(ごと)し。
是の鳥や、海運(うご)けば則ち将(まさ)に南冥に徙(うつ)らんとす。南冥とは天池なり。

――北冥(北の果ての暗い海)に魚がいて、その名を鯤という。鯤の大きさのほどは、いったい幾千里あるのかわからない。
鯤は、いつしか鳥に変化し、その鳥を鵬という。鵬の背は、いったい幾千里あるのかわからない。
勢いをつけて飛び上がると、その翼は、天空一面を覆う雲のようだ。
この鳥は、海が荒れると、大風に乗って、南冥に渡ってゆこうとする。南冥とは、天池(天の池、造物主が造った池)である。

「鯤」の字は、元来は、魚の卵という意味だ。微小なものを巨大なものの名とすることによって、まず冒頭で、既成概念(読者の常識)を覆す。

斉諧(せいかい)は、怪を志(しる)す者なり。諧の言に曰く、
「鵬の南冥に徙(うつ)るや、水に撃つこと三千里、扶搖(ふよう)を摶(う)ちて上ること九万里、去りて六月(ろくげつ)を以て息するものなり」と。

――『斉諧』という書物は、怪異の事柄を記録したものである。『斉諧』の中に、次のような一節がある。
「鵬が南の海に渡る時は、まず海面を三千里にわたって滑走し、羽ばたいてつむじ風を起こして上昇すること九万里、そして六ヶ月飛び続けてはじめて一呼吸する」。

蜩(ちよう)と学鳩(がくきゅう)之を笑いて曰く、
「我決起して飛び、楡枋(ゆぼう)に搶(いた)るも、時に則ち至らずして地に控(お)つるのみ。奚(なに)を以て九万里に之(ゆ)きて南するを為すや」と。
莽蒼(もうそう)に適(ゆ)く者は、三飡(さんそん)して反(かえ)るも、腹は猶お果然たり。百里を適く者は、宿(ゆうべ)に糧(かて)を舂(うす)づく。千里を適く者は、三月糧を聚む。之(こ)の二蟲又何をか知らんや。

――セミと小鳩が、鵬のこの様子を見て笑って言った。
「俺たちは、勢いよく飛び上がってニレやまゆみの木にやっと届くが、時には、そこまでも届かずに地面に投げ出されてしまう。奴はどうしてわざわざ九万里も昇ってから南へ飛ぶんだ。(無駄なことをするもんだ。)」
郊外の野原に出かける者は、三度弁当を食べて家に帰り、それでも腹はまだ一杯だ。(たいした食事の準備は要らない。)しかし、百里の道のりを行く者は、前の晩から米を臼でついて支度をする。さらに、遥か千里の道のりを行く者は、三ヶ月かけて食糧を集めて準備する。(大きなことをするにはそれなりの十分な準備が要る。)この二匹の動物(セミと小鳩)に、いったい何がわかろうか。

小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚を以て其の然るを知るや。
朝菌(ちょうきん)は晦朔(かいさく)を知らず、蟪蛄(けいこ)は春秋を知らず、此れ小年なり。
楚の南に冥霊(めいれい)なる者有り、五百歳を以て春と為し、五百歳を以て秋と為す。
上古に大椿(だいちん)なる者有り、八千歳を以て春と為し、八千歳を以て秋と為す。
而るに彭祖(ほうそ)は乃今(いま)久しきを以て特(ひと)り聞こえ、衆人は之に匹(なら)ばんとす。亦悲しからずや。

――小さい知恵は、大きな知恵には及ばない。(偉大なる知恵のことを理解できない)。短命は、長寿には及ばない。(長い時間というものを理解できない)。何によって、そのようなことがわかるのか。
朝に生じて晩に枯れるというキノコは、一ヶ月という時間を知らない。春に生まれて夏に死んでしまうセミは、一年という時間を知らない。これらが、短命の例である。
楚国の南方に、冥霊というウミガメがいて、五百年を春とし、五百年を秋をしている。大昔には、大椿という神木があって、八千年を春とし、八千年を秋としている。
それにくらべて人間はと言えば、彭祖が長寿として有名で、人々はみな彭祖に並ぼうとしている。(彭祖の寿命なんぞ、たかが八百歳。冥霊や大椿に比べたら儚いもの。)なんと悲しいことではないか。

「鵬」は、偉大なる超越者をいう。世俗を超越して、絶対の世界に心を遊ばせる者、何ものにもとらわれない絶対的自由の境地に立つ者を象徴する。

一方、「鵬」をあざ笑う「蜩」と「学鳩」は、そうした超越者を理解できない者たち、世俗の尺度・価値観に縛られた凡人たちを指している。

『荘子』冒頭のこの文章は、そのスケールの大きさで、読む者を圧倒する。

読者は、「なんと荒唐無稽な」と感じるであろう。
そこが、荘子の狙いであり、そうした世俗の常識、価値観、固定観念こそが「小知」なのだと言わんとしている。

巻頭のこの寓話は、まず、読者の常識や通念を突き崩し、脳味噌をいったんグチャグチャにするのが目的である。

そして、読者の頭の準備運動ができた後、さらに思索的、文学的な寓話へと議論を展開してゆく。

今回は、鳥の話。

次回は、蝶の話をしたい。




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