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「かしこさ」 VS 「こざかしさ」

「明哲保身」は、

優れた知恵を働かせて賢明に物事を判断し、危険を招く恐れのある事柄には関与せず身を安全に保つこと

という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。

「明哲保身」は、儒家的見地からも、道家的見地からも、古代中国人の賢い生き方の典型であった。

歴代の文献から「明哲保身」の用例をいくつか拾ってみよう。

北宋・司馬光は、『資治通鑑』「漢紀」高帝五年の論讃で、漢の高祖劉邦に仕えた功臣について、次のように述べている。

高帝の称する所の如き者は三傑のみ。淮陰わいいん誅夷ちゅういせられ、蕭何しょうかは獄に繋がる、盛満をみて止まざるを以てに非ずや。子房しぼうは神仙に托し、人間じんかんを遺棄し、功名を外物に等しくし、栄利を置きて顧みず、所謂明哲にして身を保つ者は子房有り。

「漢初三傑」と並び称される張良・蕭何・韓信ら三人の功臣の中で、とりわけ張良が「三傑之首」として尊ばれるのは、「功成りて身退く」を実践した彼の「明哲保身」のゆえにほかならない。

唐・白居易の「杜佑致仕制」(『白氏文集』巻三十八)に、

尽悴じんすいして国につかえ、明哲にして身を保ち、進退始終、其の道を失わず。自ずから賢達に非ざれば、たれか能く之を兼ねん。

とあり、北宋・欧陽脩の「晏元獻公輓辭」(其三)に、

富貴優游五十年  富貴 優游すること 五十年
始終明哲保身全  始終 明哲にして 身を保つこと全し

とあるように、「明哲保身」は、政界において賢明な身の処し方を実践した者を褒め称える常套句であった。


このように、「明哲保身」の語は、もともと賢明な人間の生き方として褒義で用いられていた。

ところが、近現代に至ると、「うまく立ち回ってわが身を守る」「損をしないように要領よく生きる」というように、利己的な保身の世渡り術、節義を欠いた生き方、というニュアンスの貶義で用いられることが多くなる。

近代の作家林語堂は、「中国的国民性」と題する文章の中で、

要中国人民變散慢爲團結,化消極爲積極,必先改此明哲保身的態度。
(中国の人民が、散漫から団結へ、消極的から積極的へ変わるためには、
まずこの「明哲保身」の態度を改めなければならない。)

と述べ、国事を進んで語ろうとしない中国人の消極的な姿勢を指摘し、その原因が「明哲保身」の体質にあると論じている。

また、毛沢東は、「反對自由主義」と題する文章の中で、

事不關己,高高挂起。明知不對,少說爲佳。明哲保身,但求無過。
(自分と関わりのないことには無関心で、間違いとはっきり分かっていても発言を控え、「明哲保身」にして、ただ過ちを犯さないよう努める。)

と語り、自由主義に内在する無関心で無原則な人間の態度を批判し、それを「明哲保身」と呼んでいる。

このように、「明哲保身」は、自分の意志を明白にしない「日和見主義」、過ちを犯さなければそれで良しとする「事なかれ主義」の態度を指すようになった。

「かしこさ」は「こざかしさ」や「ずるがしこさ」を意味するようになり、「明哲保身」の意義は、「明哲」よりも「保身」の方に重点が置かれるようになった。

「明哲保身」を日本語の四字熟語として用いる場合も同様の傾向がある。
したがって、他人の言動や性格について語る時は、褒めたつもりで貶すことにもなりかねないので要注意である。


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