「科挙」~死人が出る受験地獄
科挙の歴史
科挙は、隋代に始まった官吏登用試験である。
その前の魏晋南北朝時代では、人物を9ランクに評価して各地方から中央に推挙する「九品官人法」が行われていた。しかし、これは主観的で情実が入りやすい選抜法であったため、門閥貴族によって上級官職が独占され世襲されるという結果を招いた。
隋の文帝に至って、中央集権的な官僚体制を打ち立てる必要から科挙の制度が実施された。
科挙は、「秀才」「明経」「明法」「明算」「明書」「進士」の6科に分けて試験が行われた。なかでも経書の学識を試す明経科と詩文の才能を試す進士科に人気が集中し、とりわけ進士科は高級官僚への登竜門として競争が熾烈だった。そこで、
五十は進士に少し。
(五十歳で進士に合格すれば若い方だ)
とさえ言われた。
唐代では、本籍地で行う予備試験に合格した者、または中央の国立学校に在籍して選抜された者に科挙受験の資格が与えられた。有資格者は礼部(典礼を掌る中央官庁)が主催する「省試」に応じ、これを通過した者がさらに吏部(人事を掌る中央官庁)が主催する任用試験を受けて官吏としての職を得た。
宋代では、地方での試験「州試」、中央での試験「省試」、皇帝自ら行う「殿試」の三段階に整備され、科目は進士科に統合された。
元代は、モンゴル支配の下で漢民族の文化が軽んじられ、一時科挙が廃止されたことがあった。
明代、清代に至ると、志願者の増加に伴って、科挙の制度も複雑になる。
まず、「童試」と呼ばれる予備試験を、知県主催の「県試」、知府主催の「府試」、学政(省の教育を掌る官)主催の「院試」の三段階で行い、その合格者が「生員」として学校(府学・県学)に籍を置く。生員はさらに「歳試」と「科試」によって学力の認定を受けてはじめて科挙の本試験の受験資格を得る。本試験は、各省で行う「郷試」、都で行う「会試」、宮中で天子が行う「殿試」の三段階に分かれ、これらを通過してやっと進士の称号が与えられた。
清代の科挙制度
上は、清代の科挙試験の概略をまとめた一覧表である。予備試験から本試験まで何段階にもなっているのがわかる。進士まで辿り着ける者はごくわずかである。進士になれば中央の要職が約束されているが、進士にまで至らなくても、とりあえず役人になることはできる。郷試を通って挙人となれれば、もうそれだけで世間一般では大出世である。
科挙の試験が具体的にどのように実施されたのか、上の表を参考にしながら郷試を例に取って見てみよう。
郷試は3年に1度のみ、子・卯・牛・酉の年に行われる。合格倍率はおよそ100倍という狭き門である。試験は中央(北京)および各省の政府所在地の「貢院」と呼ばれる科挙専用の試験場で行われる。試験は3回に分けて10日間にわたって行われる。受験生は、毎回、独房のような狭い個室で三日二晩かけて答案を作成する。余りの過酷さに病気になったり、発狂したり、自害したりする受験生もいたと言われている。
科挙での不正行為は厳罰に処せられ、死罪となるケースもあった。それでもカンニングや替え玉受験などの不正行為が横行した。細かい字で何万字も書き込んだカンペ(豆冊子)を隠し持ったり、びっしり経書の文句を書き込んだ下着を着用したりする事例が残っている。
科挙の功罪
昔は今のように価値観が多様ではない。昔の中国の知識人にとって出世とはイコール役人になることであり、役人だけが栄誉ある職業であった。
役人になれば、俸禄ばかりでなく、さまざまな役得があり、事ごとに賄賂を受け取れるので、自ずから裕福になる。であるから、世の知識階級に生まれた者はみなこぞって科挙を受験したのである。
科挙の功罪を語るとすれば、「功」の部分は、為政者にとっての話である。
科挙は中央集権の国家統制にはこの上なく好都合な制度だ。天子を頂点とする官僚支配体制の序列がほぼ科挙によって決定づけられる。
しかも、科挙の受験は、「万民に機会均等」であるから、公正な官吏登用がなされていることになる。むろんこれは建前であり、現実には、ある程度の経済的余裕のある家の者でなければ受験は無理であり、庶民には縁がない。しかも、受験資格は男子だけに与えられ、女子は受験できなかった。
功罪の「罪」の部分はとても大きい。受験者の暮らしは科挙一色に染まり、健全な精神生活を送ることが難しくなる。そして、科挙によって形作られる社会は極めて硬直化、単一化したものとなる。
科挙は儒家思想と密接に結びついている。試験問題は、基本的に儒家の経典から出題される。膨大な経典の一字一句を丸暗記しなければならないので、知識人の脳が儒家的な思考に染まってしまうことになる。
そもそも儒家思想にも功と罪がある。儒教は東洋の精神文化の支柱であり、その功は絶大であるが、罪の部分も看過できない。孔子の教えには不条理なものが少なくなく、合理性、創造性に欠ける面もある。儒教は、人々を道徳的に教化する知恵の宝庫である一方、人々の精神を縛る桎梏となり、抑圧的な社会を生み出す元凶にもなっている。
科挙をテーマとした文学作品として、清・呉敬梓の『儒林外史』がよく知られている。科挙によって生み出されたさまざまな社会の不条理、人間性を喪失した知識人の欺瞞・愚昧・庸俗・無恥を辛辣にかつユーモラスに諷刺している。
参考文献
宮崎市定『科挙~中国の試験地獄』(中公文庫)