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「狂」(番外編)~映画『芙蓉鎮』
『芙蓉鎮』
1987年に公開された映画『芙蓉鎮』は、文化大革命を正面から扱った最初の映画である。原作は、古華の同名小説である。
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映画は、1963年、湖南省の町、芙蓉鎮の定期市で人々が賑わうシーンで幕を開ける。大躍進運動の失政による疲弊からようやく立ち直り、自由化政策で町は活気を取り戻していた。しかし、背後では、四清運動が次第に階級闘争の様相を呈するようになり、党内では経済の安定を優先する劉少奇の路線と階級闘争による急速な変革を推進する毛沢東の路線の対立が顕在化する。
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やがて毛路線が主導権を握り、66年にプロレタリア文化大革命が発動され、その後10年間にわたって、中国全土に政治の嵐が吹き荒れる。その荒波は、芙蓉鎮のような田舎町にまで容赦なく押し寄せてきた。
芙蓉鎮で一番の美人胡玉音は、夫桂桂と共に米豆腐の店を開いている。夫婦で身を粉にして働き、ようやく店を新築することになった。ところが、政治工作班の班長李国香に睨まれ、資本主義的ブルジョワジーとして政治運動の槍玉に挙がってしまう。玉音は家も財産も失い、李暗殺を企てた桂桂は処刑される。
1966年、文革が始まると、芙蓉鎮にも権力闘争が波及して町の様相は一変する。「新富農」の玉音と「右派分子」の秦書田には早朝の道路清掃が罰として科せられた。歳月を経て二人は石畳の上で愛情を育み、やがて玉音が懐妊する。書田は党に結婚の嘆願をするが、これが犯罪扱いされ、書田は10年の刑が言い渡され、二人は引き裂かれてしまう。大衆監視下での執行猶予となった玉音は、谷燕山らの温かい人情に助けられて男児を出産する。
79年、文革が終息した3年後、名誉回復されて芙蓉鎮に帰ってきた書田は玉音と再会する。書田には県の文化会館館長の職が用意されていたが、これを断り玉音と共に町で暮らすことを決心する。
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一般的な映画紹介では、主役は胡玉音である。激動の時代に翻弄されながらも強く逞しく生き抜いた善良で純朴なヒロインである。しかしながら、この映画に托された原作者や監督のメッセージを担っているのは、町で唯一の知識人の秦書田である。秦書田は県の歌舞劇団で脚本演出を担当していたが、57年の反右派闘争で反動右派分子と認定されて公職から追放され、芙蓉鎮で労働改造の身となっている。
四清運動による粛正が始まり、夜の政治集会で秦書田が吊し上げられる場面がある。人民公社前の広場で秦書田が壇上に呼び出され、李国香から厳しい批判を浴びる。
「この男こそ、芙蓉鎮で悪名高い秦書田、瘋癲の秦であります!この男は、党と社会主義を凶暴に攻撃した極めて罪の重い右派分子であります!」
李国香に罵倒されると、秦書田はヘコヘコと頭を下げ、おどけるような仕草をして大衆がどっと笑い出す。李国香の尋問が始まると、秦書田はとぼけたようにのらりくらりと受け答える。
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「瘋癲」は原文では「癲子」である。気のふれた精神病患者のことを言う。映画では逐一紹介していないが、原作の小説では彼の奇行・狂態の描写が随所に盛り込まれている。例えば、紅衛兵に「悪党の舞い」を踊るよう命じられると、腰を落として左右の足を交互に踏み出し、手に茶碗と箸を持って「牛鬼蛇神様、もう一杯お恵みを」と歌い、周囲の者を抱腹絶倒させるという挿話がある。
「佯狂」の系譜
秦書田が「瘋癲」として描かれているのは、単に登場人物に風変わりな味付けをしようとしたためではない。秦書田の愚かしい振る舞いは、乱世を生き延びるために必要とされた知恵である。それは、戦乱の絶えない中国で遥か昔から知識人の間で培われてきた「佯狂」という処世術である。
「佯狂」とは、狂気を装うことをいう。病理学的な意味での狂気を持たない者が、あたかもそれを持つかのようなふりをすることである。「佯狂」は、困難な状況において韜晦的な手段として用いる保身の所作である。
「佯狂」の系譜の最初に位置するのが、箕子と接輿である。殷の紂王の暴政下、箕子は狂人の真似をして奴隷となり命を長らえた。一方、春秋時代の楚の接輿は、世を避けて狂人のように振る舞った隠者である。
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狂人を装うという箕子や接輿の所作は、乱世における「明哲保身」の処世術にほかならない。世の大勢に逆らわず賢明に状況を判断し我が身を災禍から守るという生き方は、古来、政治に携わる者がしばしば選んだ道であった。
中国人の伝統的な処世観からすると、こうした生き方は、時勢を顧みず頑なに自己の主張を貫き通す生き方よりもむしろ評価される傾向にある。世の中を達観し柔軟に立ち回って自らの進退を見極めるという処世術は、芯の太い強靱な生き方として、古くから中国の人々が是認してきたものである。
「瘋癲」という選択
さて、話を『芙蓉鎮』に戻そう。秦書田のしたたかな生き方は正に中国古代の知識人たちが連綿と受け継いできた乱世を生きる知恵をそのまま銀幕の上で実践したものである。
文革は、一個人がどうあがいても叫んでもどうにもならない災難であった。中国人は、そのような災難がこの国では常に繰り返し起こることを経験的に知っているのである。
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秦書田は無駄な抵抗を試みずに狂気の時代を生き抜くために「狂」を装い、世の中がまともになるのを待つことを選択した。のらりくらりとして臆病で愚昧なようでいながら、実はこれが最も強く賢い生き方なのである。
秦書田は、映画の随所で図太さの片鱗を見せている。黎満庚から政治運動のスローガンを町の壁に書くよう命じられると、
「文字は宋朝体にしますか、ゴシック体にしますか?」
と字体を尋ねるシーンがある。無学の黎が字体の専門用語を知らないことを承知の上でわざと聞いているのである。唯々諾々と何でも上の指示に従っているように見えるが、なかなかの曲者である。
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秦書田の生き方を中国思想史の上に置いてみると、これは典型的な老荘流の生き方である。「瘋癲」を演じるという選択は、いわば荘子の「無用の用」に徹して不必要な禍を自ら招かないようにすることである。天寿を全うすることに最大の価値を置くとすれば、無用であるために生き延びた者にとっては、その無用性こそが真の有用性ということになる。
「ブタになっても生き抜け!」
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胡玉音が身ごもると秦書田は「結婚嘆願書」を書記の王秋赦に手渡すが、「新富農」と「右派分子」が労働改造中に恋に落ち、ましてや党の許可無しに子を作ったとなればとんでもない大罪である。この件が李国香の逆鱗に触れ、胡玉音と秦書田は逮捕されて公開裁判にかけられる。二人に罪状が言い渡されると、秦書田は心の中で玉音に向かって、
「生き抜け! ブタになっても生き抜け!」
と叫ぶ。
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真の「癲子」は誰か?
文革の動乱が過ぎ去って世の中が平穏になると、「狂」を装う必要のなくなった秦書田は真っ当なインテリ本来の姿に戻る。名誉回復して帰郷する途中で偶然李国香と再会する。秦書田のことを覚えていない李国香に向かって、
「ほら、あの瘋癲の秦ですよ」
と皮肉っぽく名乗る。そして、今や省の幹部にまで出世し近々結婚するという李国香に向かって、
「どうか落ち着いて家庭を築いて下さい。少しは庶民の暮らしを学んで、彼らを困らせるようなことばかり考えずにね。彼らの暮らしも容易なようで、そう容易なものではありませんから」
と静かな口調で語る。これは、もはや狂者の言ではない。まさしく世の中を達観した知識人が庶民の願いを代弁した威風堂々たる正言である。
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一方、賑わいを取り戻した芙蓉鎮の町では、気の狂った王秋赦がボロをまとい銅鑼を叩き、「運動だ!運動だ!」と叫びながら人混みの中を通り過ぎてゆく。王秋赦は元貧農の無教養な男で、文革中は支部書記として跳梁したが、文革が終息して身の置き場がなくなると気がふれてしまう。
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王秋赦の哀れな姿を眺めながら、谷燕山がこう呟く。
「世の道理は面白いもんだ。瘋癲と呼ばれた奴は狂ってなんかなくて、瘋癲じゃないつもりの奴が狂っちまった」
偽の「癲子」と真の「癲子」との皮肉なコントラストを映し出しながら映画は幕を閉じる。
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映画『芙蓉鎮』フルムービー(2時間40分、日本語字幕)
*本記事は以下の記事を簡略に改編したものである。