中国古代のリーダー学~「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す」
古今のリーダー学
中国の古代思想、とりわけ諸子百家の時代の言説の多くは、もともと君主や諸侯に献じた政策論・政治論であった。
そうした中国古典の中での「リーダー学」、つまり君主・諸侯の心構えとして述べている言葉は、現代社会における政治家、市町村長、会社の管理職、学校の教師、スポーツの監督・コーチ、さらには、家庭での家長など、人々の上に立つ者、人々を先導する者の心構えとして、参考になるところがある。
『論語』の「子路」篇に、次のような一節がある。
これは、孔子の徳治政策に基づく言葉で、為政者と人民の関係を指すものである。
要するに、人の上に立つ者は、まず自分の身を正せ、という教えである。 これは、そのまま現代の会社組織におけるトップと従業員、あるいは教育の場における教師と生徒という関係に置き換えても、十分に通用する。
人材の発掘
唐の太宗と群臣たちとの問答を集めた『貞観政要(じょうがんせいよう)』という書物の中に、次のような言葉がある。
大きな組織になればなるほど、リーダー独りだけでは何もできない。
歴代の皇帝も、人材の発掘には、たいへんな精力を傾けてきた。
魏の曹操は、政治・軍事に無類の天分を持った宰相であり将軍であった。
正史『三国志』では、撰者の陳寿は、
と呼んで、曹操を讃えている。
曹操は、一時代の天下の覇者として、人材の発掘に熱心であった。
赤壁の戦い(二〇八)の後、たびたび「求賢令」を発令し、
を謳い文句に、家柄や経歴に拘わらず、才能のある人材を広く世に求めた。
天下取りの大事業において、曹操が最も苦心したのが、優れた人材の招致であった。
曹操の「短歌行」
曹操は、政治家であり、武将であり、また詩人でもあった。「槊(ほこ)を横たえて詩を賦す」と言われるように、陣中にあっても悠然と詩を詠じたと伝えられている。
曹操の「短歌行」は、短い人生の儚さを嘆くことから歌い起こし、天下の覇者として、有能な人材を探し求める熱情を吐露した詩である。
全篇三十二句から成るが、最後の四句は、次のように歌っている。
「山不厭高、海不厭深」の二句は、『管子』の「形勢解」に、
「海は水を辞さず、故に能く其の大を成す。山は土を辞さず、故に能く其の高きを成す。明主は人を厭わず、故に能く其の衆を成す」
とあるのに基づく。
海が小川を拒まずに受け入れるがゆえに深くなり、山が土塊を拒まずに受け入れるがゆえに高くなるように、優れた君主は、多種多様な人材を受け入れる大きな度量を持つことをいう。
「周公」は、周公旦。周の文王の子、武王の弟。幼い成王(武王の子)を輔佐して周王朝の基礎を築いた。人材の登用に熱心で、『史記』「魯周公世家」に、
「我は一沐に三たび髪を捉(と)り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士を待ち、猶お天下の賢人を失わんことを恐る」
とあるように、洗髪や食事を中断してまで来客に面会し、天下に賢人を求めたと伝えられている。
叱るより褒めよ
さて、有能な人材をいくら集めても、彼らをうまく使いこなすことができなければ意味がない。
『三国志』の英傑の一人、呉の孫権は、人を用いる術に長け、彼の膝元からは、文官・武官ともに、有能な人材が輩出している。
孫権の部下に対する姿勢をよく表す言葉として、『三国志』「呉志」巻九に、次のようなものがある。
呉の名参謀・魯粛の功績と失策について孫権自身が語った話の中に見える言葉である。
荊州を劉備に貸与するよう進言して、のちに領有権をめぐる紛争を招いたという失策はとがめず、彼が参謀として呉を支えてきた功績を高く評価したものである。
人は誰でも叱られるより褒められる方が気持ちがいい。
責められたり叱られたりしてばかりでは、気分が萎縮してしまう。褒められて、いい気分で事に臨む方が志気が上がる。
会社の上司や学校の教師が、部下や生徒に対する姿勢においても同様だ。相手の長所を見つけて賞揚し、やる気を起こさせた方が、仕事の効率は上がり、学業も伸びる。
細かいことを言わない
漢の『大戴礼(だたいれい)』という書物の中に、孔子の言葉として、次のようなものがある。
あまりに澄んできれいな水には、姿を隠せないので、魚はそこに棲まないのと同じように、人の場合も、あまりに細かいことをうるさく言うと、誰もついてこない。
「察」は、小さなことまできちんと観察すること、物事をはっきり見抜くことを意味する。基本的には、良い意味であるが、ややもすると、ついあれこれ口を出して干渉したり、些細なことまで注意したりしがちになる。そうなると、余計なお世話ということで、周囲の人にけむたがられてしまう。
後漢の時代、西域の都護(辺地の軍事長官)となった班超が、都護としての心得を語った言葉にも、同じようなフレーズが見られる。
塞外の役人たちは、罪を得て左遷されてきたような者も多く、もともと扱いにくい。そうした連中をうまく統率していく秘訣を述べたのが、この班超のセリフである。
どうにもならない部下ばかりの部署や、問題児ばかりのクラスを導いていく上での心構えとして、参考になりそうな言葉だ。
こわくても好かれるボス
『貞観政要』と並んで、リーダーの必読書とされるものに、『宋名臣言行録』という書物がある。
その中に、北宋の蘇軾(そしょく)が語った次のような言葉がある。
寛容でありながら畏敬の念を抱かせるのは、やさしさの中にも毅然とした厳しさを併せ持っているからであり、厳格でありながら敬愛されるのは、厳しさの中にも寛大な心遣いが相手に伝わるからだ。
これとちょうど逆に、厳しくして人を威圧し、やさしくして人気を取るというのが普通であろうが、しかし、それでは本当の意味で人心を得ることはできない。蘇軾は、続けて次のように語る。
やさしくして好かれても、それは長続きはしない。厳しくしてこわがられても、それは心服されているわけではない、ということだ。
リーダーの理想像
リーダーの理想像を示す極めつけの名言がある。
桃やスモモの木は、美しい花を咲かせ、おいしい実がなる。だから、黙っていても、多くの人が集まってきて、その木の下には、いつの間にか道ができるようになる。これと同じように、有徳の人物のもとには、その人柄を慕って、自然と人々が寄り集まってくることをいう。
これは、『史記』の「李将軍伝」に見える言葉である。
もとは古い諺であったが、司馬遷が論賛の中でこの諺を引用して、前漢の将軍・李広の人望を讃えている。
李広は、弓の名手で、匈奴から「漢の飛将軍」と恐れられていた勇猛な将軍であったが、ふだんはまるで田舎者のように口下手で木訥な人であった。
日頃から、下賜された恩賞は必ず部下の兵士たちに分け与え、行軍中は、泉を見つけても、兵士たちが全員飲み終わるまでは、決して口をつけようとしなかった。
李広が亡くなった時、部下はもちろんのこと、国中の人々が、涙を流して哀悼の意を尽くしたと伝えられている。
リーダーとしての人望は、吹聴したり、媚びたりして得られるものではない。リーダー自身が、思いやりのある誠実な生き方をしていれば、黙っていても、自然と人はついてくる。