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美しさについて知りたくなった/千早茜さんの小説を2冊読んでみた
「美しい」とはなんだろうと興味を持って二冊の本を立て続けに読みました。
そう思ったきっかけは、こちらのnoteを読んだからです。
「美しさと恐ろしさは両立するのか」という意味深な問いかけに私は登場する本を読んでみたくなりました。
それまで私は「美しい」という言葉には明るい良いイメージしかありませんでした。
なのに、恐ろしいとはどういうことだろうか?
「綺麗な花には棘がある」
「ど派手な色の毒キノコ」
など美しさを盾に身を守ることだろうかと勝手に想像しました。
今回私が読んだのは紹介されていた千早 茜さんの「魚神」と、書店で並んでいた同じ著者の「西洋菓子店 プティ・フール」です。
西洋菓子店 プティ・フールも読んだのは、千早さんの書く食べ物が精密で美味しそうと聞いたのと連作短編集が好きだからです。
まず、魚神から読みました。
直木賞作品の「しろがねの葉」を思い出すようなひやりとした独特の表現に飲み込まれました。
普段私は明るく楽しい小説が好みなのですが、それに比べて千早さんの書くこれらの物語はちょっと闇を感じます。
読んでて胸がざわざわします。
この物語で表現される美しさは、「恐ろしくなければ美しくない」ということ。
表面的に綺麗に着飾っているだけのは、美しいとは言えない。
対極に恐ろしさを持ち合わせているから美しいと感じられるのだ。
そんな風に私は捉えました。
「自然は厳しいから美しい。厳しければ厳しいほど美しくなる」
そう言っていた先生の言葉が頭に浮かびました。
圧倒される美しさには、全く手の届かない厳かさや大自然の景色のように一瞬で消えたり、魔物に化ける恐怖が含まれているからこそ「美しい」と言えるのだと思いました。
美しさと恐ろしさの背中合わせ。
そんな陰陽関係に美しさの概念が変わりました。
そして、もう一冊。
「西洋菓子店 プティ・フール」
ひやりとした闇を感じた魚神とは反対の明るいイメージの作品だと思っていました。
出てくるスイーツはどれも美味しそうです。
文字だけでここまでスイーツを繊細に表現できるんだと驚きました。
本から甘い香りが漂ってきそうなほどでした。
読んでいる間、何度もケーキ屋さんに行きたくなりました。
繊細で緻密に作られたスイーツは芸術作品のように美しい。
しかし、その美しい姿のスイーツの寿命は短い。
食べられてしまうからです。
(あるいは、時間が経つと劣化する)
美しいのは一瞬。瞬きをする間に消えてしまうくらいの、ほんの短い、まるで白昼夢を見ていたような時間。だからこそ、その輝きは価値を増す。菓子作りはひとときの夢を見せる仕事だと思う
この美しさは、大自然の織りなす偶然の美しさではない。
人の手によって生み出された美しさです。
人が時間と手間をかけて、作り出したものが一瞬で消えていく。
お菓子というなくても生きていける存在。
人は美しいものに魅力を感じ、憧れを抱いています。
しかし、その実態は一瞬で消える夢のような存在であり、なくても生きていけるという何とも寂しい存在でもあるのです。
永遠に存在しない、ほんのひとときだけ存在する。
その無常な美しさをスイーツを通して作品は物語っていました。
スイーツがとても繊細で丁寧に描かれていたのがこの小説の魅力でしたが、それぞれの登場人物の目線で描かれる話も一筋縄ではいかない複雑な魅力がありました。
スイーツという夢いっぱいのテーマの中で描かれる物語はなんとも人間くさくて絶妙に苦味や酸味を感じました。
この作者らしいなあと引き込まれました。
人間は三種類に分かれる。
(中略)
舞台にあがる人、裏方で舞台を作り上げる人、そして観客。それぞれにプロがいる。
どの立場もプロであり、どの立場にもなることがあります。
裏方として誰かのために働くのは素敵だと思います。
でも、ずっと裏方でも観客でもいられない。
舞台にあがる時もある。
どの立場にいても相応しい存在でありたいです。