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お金を使う罪悪感と向き合う
週明けや月末になると、なんとなく憂鬱になります。
週末の楽しい気分が抜けきらず、
どこか心がざわつく。
頭の中にモヤモヤとした黒い影が広がり、
きゅーっと身が縮むような、なんとも言えない不快感を覚えます。
その理由は、「家計簿を締める日」だからです。
こんにちは、はなこです🕊️
今日は、お金を使うことへの罪悪感と向き合うお話をしたいと思います。
「また使っちゃった…」の繰り返し
私は、お金に対して苦手意識があります。
特に、「お金が無いことばかりに目がいってしまう」タイプ。
家計簿をつけるたびに、「また使っちゃった…」と落ち込み、
使えば減るのは当然なのに、減ったことばかりに目を向けては気分が沈む。
でも、また忘れて使ってしまい、週明けに反省。
この繰り返しでした。
本当に必要なもの? それとも…
私は普段の食費や日用品、衣類に関しては、あまり罪悪感を抱きません。
外食やお惣菜を買うこともありますが、「生きるために必要なもの」だから。
でも、あるものにお金を使うと、強い罪悪感を抱いていました。
それは、「本や講座」 です。
「自分しか消費しないもの」
「生活必需品じゃないもの」
だから、使ってはいけない。
そう思い込んでいました。
でも、学ぶことは好きだし、本当に不要なものなのか?
そう考えたとき、私はちゃんと向き合えていないことに気づきました。
買ったものを見直してみたら…
そこで、私は「過去に買ったものの棚卸し」をすることにしました。
・買ったままになっている本
・一度だけ聞いて、そのままの講座
改めて見直すと、買った背景を思い出せる本もあれば、
「なんで買ったんだっけ?」と分からない本(=衝動買い)もありました。
ここで「ムダ遣いしちゃった…」と落ち込むだけでは、また同じことの繰り返し。
「衝動買いした本にも意味があるはず」
そう思い、もう少し深掘りしてみました。
罪悪感の正体
読んでいない本、興味を失った本を見つめながら、ふと気づきました。
「私、本当に興味があるものが分かっていないのかも…?」
「なんか良さそう」
「これがあれば安心できそう」
「これを知れば、うまくいきそう」
そんな漠然とした不安から買っていたのです。
でも、「なんか良さそう」の「なんか」が分かっていないまま買うと、
結果的に満足できず、罪悪感が生まれてしまう。
一方で、食べ物や日用品は「これが必要!」と明確だから、罪悪感を抱かない。
「お金を使っても、私が全然喜んでいない」
そのことに気づきました。
「私が喜ぶためにお金を使う」
このことに気づいてから、お金との向き合い方が少し変わりました。
欲しいものができたとき、
✅ 「この先何年、大事にできるか?」 を考える
✅ ただ気になるだけなら、まずは借りる(本の場合)
特に本は、すぐに読まないことが多いので、
「予約待ちして借りる」でも十分だと気づきました。
また、講座についても、すぐに役に立たなくても、
後々活かせることがあるなら、罪悪感を抱く必要はない。
ただし、「本当に自分のため?」 を見極めることが大事。
・「みんなが受けているから」
・「知識を増やせば安心できるから」
そんな理由で受けようとしていないか?
「講座を受けることで、どう変化したいのか?」
それを言語化せずに、「受ければ大丈夫」と思い込んでいたことに気づきました。
(…そもそも、「大丈夫」って何が?)
お金と「本当の欲求」のズレ
「お金があったら何をしたい?」と聞かれたら、
私は「自由に出かけたい」と答えます。
でも、実際にお金を使っているのは、
本や講座ばかり。
「本当にやりたいこと」と「実際の行動」がズレているから、
満たされず、罪悪感が生まれていたのかもしれません。
欲求がズレているのか?
行動がズレているのか?
これからは、日々の暮らしと向き合いながら、修正していきたいと思います。
まとめ
お金を使うことを
もっと前向きにするために、
✅ 不安から買わない
✅ あるものを大切にする
ポチッとしそうになったら、この言葉を思い出そう。
お金を使うことに罪悪感を抱かないように。
そして、本当に「豊かさ」を感じられるお金の使い方をしていけるように。