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書籍「バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる」は、誰も「排除しない!」場を考えている人にオススメな本

誰も「排除しない!」と口にするのは簡単だけど、それを実践するのは至難の業だ。最近、福祉の現場をインタビューする中で強く感じている。そんなことを考えているとき、2024年10月にバザールカフェの本の出版トークイベントに参加して書籍「バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる」(学芸出版社)に出会った。

読む前になんとなく気になっていた3つのことを先にメモしておく。

①編集者のはしくれとして気になっていたこと
バザールカフェの本の特徴は、バザールカフェをはじめた人がすでに故人であり、関係者が複数人でこの本を書いている。どうやって目次をつくったのか。

②場づくりの経験者として気になっていたこと
どうやって誰も排除しない場をつくってきたか。どうやって運営しているのか。

③福祉の現場を取材してきたライターとして気になっていたこと
バザールカフェのスタッフは孤立・孤独を感じている人にどのような接し方をしているのか。

上記3つのどれかひとつでも気になっている人は本書が参考になると思う。

バザールカフェは一言で言うと多様な人が訪れるカフェだ。しかし多様という言葉の中に言語化しづらいニュアンスがたくさん含まれていて一言では言えない。なんと説明したらいいのか考えるだけで激ムズ。その背景を説明するのに文字数がどうしても多くなってしまう。説明する相手によっても言い方が変わる。だから書く人はいろんな人に配慮が必要なので本書の書き手の人たち全員尊敬します。

そして、ふだん文章を書き慣れていない人に書いてもらうのは難しい。だからこの本を編集できる人たちも全員尊敬します。

ブレンディング・コミュニティという支え合いのかたち|『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』刊行記念(2024/10/19|京都・オンライン) | 学芸出版社 - まち座

実際、トークイベントでは書き手の人たちが「外からどう見られるのか、関わっている人がどう見るのか葛藤があった」と話されていたのが印象的だった。目次を一読し、なぜお店のコンセプトが最後に記載されているのか気になったのと、唯一知り合いの書き手が白波瀬さんだったのもあって6章から読みはじめた。

本書は章ごとに書いている人が異なり、違った人の視点からバザールカフェを知ることができる。出版トークイベントで「この本を学者だけでつくりたくなかった」と話されていたけれど、確かに実際に働いている人の視点がないと、「働いてみてどう感じたのか」といった主観が少なくなってしまう。お店で働く福祉の専門家や学生、宣教師の人もいて、良いバランスの執筆陣だった。

パッと読んだ印象としては、ココルーム神戸アジアン食堂バル SALAの要素をまぜあわせた雰囲気の場所なのかも、と感じた。ただ、ココルームとSALAはコンセプトを支えるカリスマ的店主が健在だ。健在でも毎日いろんなことが起きるのでお店を維持したり、誰も排除しない場所といったコンセプトを維持するのはたいへん難しいのに、どうやってバザールカフェは残されたメンバーだけでそれを維持しているのかが気になった。

まったくうまく説明できないけれど、HUNTER×HUNTERで言えば最強に強い幻影旅団が、団長のクロロが念能力を使えなくなったことで、より仲間たちの絆が強固された感じに似ているかもしれないと妄想した。

一般的に、客とスタッフの垣根のないお店に入ると一見さんは誰が店員かわからなくなるので戸惑う。そういった一見さんに気を使わせないようにするには接客レベルが問われる。このあたりの微妙な匙加減は123頁に登場する無免許ソーシャルワーカーの店長によるものなのかもしれない。自分が取材する誰も排除しない現場には無免許ソーシャルワーカーが多い気がする。無免許という言い方が面白かった。

本書の編集担当で学芸出版社の岩切さん(狩野の拙著「まちのファンをつくる 自治体ウェブ発信テキスト」(学芸出版社)も岩切さんが担当)は「打ち合わせのたびに浅さをつきつけられる。見透かされている感じがする」とトークイベントで話されていたが、僕も③の福祉の現場でインタビューするたびに同じことを思う。勉強不足なので自分はずっと浅いところにいる感じがする。

3章で深い部分に触れる。日本の社会福祉制度の欠陥をつきつけ、書き手である保健福祉士・松浦さんの外伝のようで興味深い。いくつか引用させてもらう。

私が実践する、カフェとクリニックでの「両輪のソーシャルワーク」も、人と環境の両方に目を向けることが目的だ。でもバザールカフェでのソーシャルワークは、一般的に知られるそれとはまったく異なり、いわゆる教科書通りの支援の一線を越えてしまっている。なぜそんなことをしているのかというと、社会福祉制度のもとで公的な支援がどれだけ整備されても、その支援にアクセスできなかったり、その支援から外れてしまったり、その中で苦しんでいる人がいたりすることをこれまでに見てきたからだ。

90頁

堺市南区の茶山台でコミュニティナースの方の取材をしたときも似た内容の話を聞いた。

 医療機関での限界の先をバザールカフェという場で実践するようになって、なんでそこまでやるのかと問われることも多い。出会ったから、としか言いようがない。やらない理由がない、誰かがやらないといけない、と言えば良いように聞こえるが、要はここからここまでが私の仕事です、と線引きすることができないのである。
 ソーシャルワーカーの葛藤にはバウンダリー(境界線)の問題が大いにあると思っている。普通はここまでしかしてはいけないということが多い。でもバザールカフェではその「普通」がない。ここまでは良くて、ここからはダメというものが規定されていない。だから、何をすればいいのか、どこまですればいいのか、それらは全て私に委ねられている。

109頁

「場」は空間だけで価値をなすものではない。その空間に人がいて、価値が生まれてくるものだと思う。気にいらない、気が合わない、嫌い、嫉妬する、そんなものは誰もが誰かに対して持っている。その感情に振り回されながらも、でも決して排除しない、対話し続けたい、そういう思いを共有してきた。理解したいという思いを持ちながら、同時に理解できないという思いも交差する。理解し合えないかもしれないが、理解し合わなくても人は共存していける。そういう前提でこの場があることが、「誰も排除しない」という圧倒的な信頼をつくっているように思う。

126頁

この一文にデジャブを感じた。greenz.jpでインタビューした記事を引用する。

みんなが仲良くしようというのは絶対に無理なので、私は好き嫌いがあっていいと思っています。でもお互いを尊重できるのは努力次第だから、背景を理解することが大事。それを抜かさなければ好き嫌いがあっても全然いいと思います。はじめはさまざまな国の人と一緒に働くのに抵抗があるものの、いざ働き始めるとそれが普通になってくるんですね。友だちじゃなくて“働く仲間”という意味で。それがスタンダードになれば、違う場所で違う国の人と出会っても、すぐに抵抗なく話せるようになると思います。

お互いを認め合うなら、好き嫌いがあってもいい。アジア人女性がシェフとして働く多国籍食堂「SALA」で高まり続けるエンパワーメントとは。

誰も「排除しない!」と口にするのは簡単だけど、それを実践するのは至難の業だ。そのための試行錯誤がわかるので誰も排除しない場を考えている人にぜひ読んでもらいたい。

どのようにお店を運営しているのか、howの部分を深く知りたかったが、最後のおまけ頁に列挙されている山納洋さんの著書「つながるカフェ コミュニティの〈場〉をつくる方法」を再読すると、3章の6 共有空間の獲得 ──小山田徹さんの取り組み(99頁)に掲載されていた。これがかなり補助線になる。

小山田徹さんが行ったウィークエンドカフェの流れでバザールカフェの経緯を読むことで、howの部分と6章のコンセプトの部分がなんとなくわかった気がした。

最初、タイトルや本文の導入では読者をしぼって「多様な人と向き合う人に読んでもらいたい」と支援者側の立場で書いたけれど、自分自身に向けて「生きづらさを生きていく」ために読みたい本という表現に変えた。それもちょっと違うかも、と思いなおして、誰も「排除しない!」場を考えている人にオススメな本という表現に変えた。それぐらい一転二転していて表現が定まらない。激ムズ。

途中に挟み込んだ妄想も、なるべくHUNTER×HUNTERを読む、という体験をしていない人にもわかるように表現することを試してみたけれど、読む体験をしていない人に伝わっているのかがわからない。それぐらい多様な人と対話する経験をしていない人に伝えるのは難しい。

勢いで書いたので前後つながらない箇所や誤解などもあるかと思うが、狩野の読書記録をおぼろげな記憶をたよりに書き留めるだけの日記なのでお許しください。

すごい推しのように書いたけれど、出版イベントで一度しかバザールカフェに訪れたことがないので、一度なんでもない普通の日にお店を訪れてみたい。ちなみにバザールカフェは京都の同志社大学の近くにあります。Googleマップはこちらです。

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