日記をつけ続けるということ
こんにちは。
あっという間に6月になり、緊急事態宣言が解除されてから1週間が経過し、東京都はステップ2へと進んだかと思えば東京アラートが発令され、レインボーブリッジと都庁が赤くなりました。これってどんな状況? それはわたしにもわからないし、テレビの向こうにいる人たちがしっかりわかっているかと言えば、そうでもないみたいです。
変わらず体調を崩すこともなく、元気に生活しています。しかし、なんとなく疲れているな、というのが正直なところです。
4月に特に内容はなくとも日々noteに記録を試みていたのですが、だんだん息苦しくなってきたのでお休みしました。5月も下書きの段階に行った日記が数本ありましたが、なんだか公開する気持ちになれずに今に至ります。日記を書くことも、公開することも、私にとってそう簡単には行かないのだな、という今までのわたしにはない経験でした。
漠然とした不安と、妙に明るく楽しく過ごしてしまうzoomやLINEの空間、緊張感漂うスーパーマーケット。
そんな中、ふと出会った本がとっても素晴らしくて、私を元気にしてくれました。元気? うーん、落ち着かせてくれました。
メイ・サートンの「独り居の日記」です。
https://www.msz.co.jp/book/detail/08558.html
独りでいること、書くこと、人と交わること、そして生きること、日々綴られるその様子は、澄んだ文章と豊かな感情が共存しており、読み始めて1分経たずとも胸がいっぱいになります。それはまるで、気づかないうちに怪我していた部分を、手当てしてくれるみたいに。
日記を書き続けるということは、昔は簡単でした。
ノートに絵とともにぎっしり書き続けていた小学生の頃や、なんでも吐き出すように記していた中学時代のノート、誰に見せるでもなく希望的なことばかり記していたアメーバブログ、仲良しの友達とだけ共有できればよかった自作のホームページ(平成一桁台生まれの人ならきっと共感してくれるよね?)。
でも、今は前と同じとは行かなくなりました。自意識の問題? 大人になったから? どちらもわたしにとっては正解ですが、それでも何か書きたくなってしまう性格はまだ抜けていないようでした。
そんな時に出会ったこの本。
「奇妙かもしれないが、私にとっては、いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱かけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない。」(本文より)
この一行だけでもその魅力が伝わるんじゃないかなぁ。
今のわたしは日記を毎日つけ続けることはちょっぴり苦手かもしれないけれど、日々のちいさな出来事に目を向けて、"ひとりだけの時間をもち"、コロナの前にはうやむやにしていた自分の本当の気持ちとか、痛みとか、喜びといったものに目を向けて生きていきたいな、と思います。