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追いかける「私」

以前書いた期待のループの具体例を考察してみたいと思います。

なかなか仲良くなれない(と感じる)人がいます。
皆が≪その人≫と親しそうに話しているのを見ると羨ましくて自分もそんな風に親し
くなりたいと思う。

仲良くなりたい!
親しく話したい!
距離を縮めたい!

そんな欲求が湧いてくるのに素直に表現出来ない時があります。
そうなると追いかける側に「私」を設定してしまいます。

何故でしょうか?

仲良くない!
親しくない!
距離がある!

二人の関係性をそう設定しているからです。
欲求は欠乏の裏返し!
何らかの出来事がきっかけで、「私」は欠乏症になってしまったのです。

「そうなっていない」から「そうなりたい!」という欲求が生まれます。
これは完全に罠です。

仲良くない!
親しくない!
距離がある!

自分の内側にある欠乏感の正体を真っ直ぐ見つめます。
かすかな苦しさを感じますね。
その欠乏症にはこうタイトルが付いているかもしれません。

避けられている!
除外されている!
省かれている!
無視されている!

その証拠を四六時中目撃するわけです。
他の人とは親しそうに話しているのに「私」にはそうしてくれない(と感じます)。

欠乏症も受け身で感じているのですが、これも「私」が「私」にしていることです。
前回ブーメランで遊ぶ「私」で書きました。
幻惑されているのです。

避けているのは『彼』ではありません。
除外しているのは『彼』ではありません。
省いているのは『彼』ではありません。
無視しているのは『彼』ではありません。

全て自分自身の内的世界で展開されることです。

(私が)私を避けている!
(私が)私を除外している!
(私が)私を省いている!
(私が)私を無視している!

原因に対処するというのはそういうことになります。

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