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“BLACK MIRROR”視聴ガイド:システムと奴隷

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、イマジンアート生成
*この論考には“BLACK MIRROR”各エピソードのネタバレが含まれる。

“BLACK MIRROR”視聴ガイド:序文(目次)はこちら。

『1500万メリット』(シーズン1エピソード2)は、システムの歯車としてサイクルマシンのペダルを漕ぎ続けて電力を生み出す動力源に成り下がった人間を描く。主人公が最終的にシステムに一矢報いようとするも、システムはその企て自体をその一部として取り込み、結局システムから人が逃れることの出来ない絶望で終わる。

システムに踊らされる『ランク社会』(シーズン3エピソード1)は、主人公の振る舞いが徹底して軽薄である。歯が浮くような虚飾的社交辞令が互いの社会的信用スコアを左右する滑稽さと、しかしその振る舞いの基準は階層ごとに変化し、主人公が自身の軽薄さでスコアを下落させるという滑稽さを描く。そして上がって落ちたところで、虚飾を止めて上層階層から脱した人物と出会い、主人公は認識を転換する。

『HANG THE DJ』(シーズン4エピソード4)のマッチングシステムは、構築されたシステムの外にある計算外の不完全性へと逸脱していくカップルの組み合わせを「計測」することで、そのカップルの相性を弾き出すという矛盾を描き出す。そしてそのシステム内で運用される奇妙なシステムと、その奇妙なシステムに疑問を持たず唯々諾々と従う人間の愚かしさを際立たせる、という三重構造を取る。このような仕掛けを通して、そのマッチングシステムは果たしてアルゴリズムなのか、という疑問が浮かび上がる。

『バンダースナッチ』は選択肢分岐型アドベンチャーゲームの形式を取り、映画というジャンルを超えた形式に踏み出している。主人公の選択は視聴者に委ねられ、しかし主人公がその選択を決定する視聴者に気づき、擬似的に相互作用のようなものが生じる設計だ。或いは、そのような主人公の影響を受けた別の人物があたかもこの作品を設計したかのような演出や、選択肢が行き詰まっても鍵となる分岐点へと戻ってループする演出、撮影所の一幕として終わるオチや夢オチなど含め、この長編は複数の入れ子構造を取る。1984年という設定が幾重にも示唆的だ。

全体性を意識せず細分化された分断において右往左往する大衆、鉄の檻における没人格、エルサレムのアイヒマンにおける悪の陳腐さ等々、ヨーロッパ哲学の或る系譜はシステムの奴隷から抜け出す模索と捉えることが出来る。そして量子論と分析哲学がもたらしたパラダイムシフトの先に展開する認知科学が興隆する。しかし、文化基盤としてのセム系一神教が認知フレームの根幹を構築し、或いは既存の社会基盤として近代システムが構築された中で、それらの前提を所与のものから引きずり出して省みる人々ですら、絶大なるシステムの内側に閉じ込められて消耗戦を生きる。セム系一神教でなくとも、儒教的隷属機構が埋め込まれていたり、ブラフマニズム的階層支配が浸透していたり、形態は違えどシステムの奴隷という構図は普遍的とも言える。良くて現状維持の体系的逓減が定められた枠組みの中で、如何にしてその閉鎖系から抜け出すのかという課題を突きつけるのが、これらのエピソードである。

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