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imitation melancholy

 鬱が消えた。怖い。漠然とした不安とかはあるけど、決して鬱ではなくて、鬱じゃない自分が怖くなってきた。怖い怖い。だって空っぽだもん。すっからかんになっちゃった。どうせこれ読んでくれてる人たちも、わたしが死にたい死にたいって言ってる文章をいいと思ってくれたんだろうなと思うと、やっぱり鬱じゃない自分は面白くないというか、つまらないというか、普遍的すぎるというか、何者でもないというか。
 鬱であることで、明るく楽しく生きている人には見えないものを見ている(気がする)自分が好きだった。だめだろ。楽しく生きちゃ。あんたみたいなのに、むき出しの感性が消えたなら、何が残るの。
 誰も見向きもしないような言葉を大事に大事にしてるわたしがわたしだったのに、ぼんやり、たのしい〜うれしい〜くるしい〜さみしい〜たのしい〜のループで、尖った気持ちが湧かない。だから言葉も意欲も湧かなくて、頭も目も耳も全部全部もやがかったみたい。空の奥に見出す哀愁だとか、枯れた葉を踏み潰す感触だとか、制服を着た人たちと並んで模試を受ける虚しさとか、そういうのにいちいち反応して傷つかないといけなかったのに。
 今日星を見た。すごい綺麗だった。すごい綺麗〜しか言えなかった。自分ってダメだなって思う。ほんと、つまんない人間。
 「今日の空、なんか綺麗じゃないですか?」←やっぱりこの言葉はそう思わせられる背景がないとなんの深みもない、SHEINのトップスくらいペラペラの言葉で、ナンパ師のかわいいねくらい意味のない表現な気がしてくる。
 生きてる感じがしないよ。鬱じゃないと。傷つかないと、生きてる感じがしないよ。傷つきたくないと思って逃げ込んだ先で、生傷が絶えなかった人生を休んでみたら、やっぱり痛みが欲しくなって、それがないとって悶えてる。こんなんリストカットと同じじゃんね。Simeji入れてるんだけど、リストカットって入力したら変換に心の叫びって出てきた。バカにしてるだろ。ふざけんなよ。自殺→いのちの電話に〜みたいなのほんとバカにしてる。バカにしやがって。
 心の叫びとか、ほんとくだらない。こんな痛みが喘鳴なら、もう無理だよ。
 リストカットしたことないです。するもんじゃないから別にしたいと思ったこともないし、したいと思わなくてよかったと思ってるけど、それはそれとして、"メンヘラ"も"鬱"も全部全うできてなくて、中途半端で怖がりで嫌になるね。
 中途半端に鬱に浸って生きていたのに、なぜかぬるま湯の栓が抜かれてしまった。空っぽになった浴槽で、換気扇の音を聞いてる。
 寒くなって風邪引きそう。
 鬱からくるアイデンティティを捨てようと思っても、どう捨てたらいいか分からない。分からないまま鬱が消えてしまって、唐突なアイデンティティの喪失に、逆に耐えられなくなってきた。
 わたしの思春期的自我は、文豪ストレイドッグスを読んで近代文学に出会って、昔の知識人たちの"鬱"に触れることで形成された。こんな鬱・文学・サブカルみたいなガキはいくらでもいると思うけど、それでもやっぱりわたしのアイデンティティというか、わたしという存在の根幹を担うものになっていて。昔の文豪たちの、実体験のような魂の孤独を理解することが出来たのが、うれしかった。
 わたしって友達いたけどずっとひとりぼっちだったの。誰もわたしの心の底の感情、分かってくれなくて。というか話せなくて。話す気もなくて。ひとりだった。みんなそうか。みんな、心の底なんて話さないよね。話さないのか、考えてないのか、わからない人もたまにいる。
 そんな時に、100年前の人たちの孤独に触れることで、孤独だけど孤独じゃなかった。ひとりで、だれにも理解されないことに変わりはなくても、それが自分だけじゃないことを知れたから。
 学生時代、馴染めなかった大抵の人間は、どこかのタイミングで文学か音楽に絶対救われる瞬間があると思うんだけど、わたしはそれが中ガキのころの読書だったの。
 そんなわたしの人生における脊髄みたいな部分を担ってる文学を繋いだ、薄っぺらい鬱。そいつがいなくなっちゃったら、なんかもう、死んじゃった気持ちみたいになる。
 芯からの孤独を理解できなくなってしまったらどうしよう。秋の風のどうしようもない愛しさを忘れてしまったらどうしよう。友達の制服プリを見ても何も思わなくなったらどうしよう。n-bunaさんの歌詞が刺さらなくなってしまったらどうしよう。ローファーの先に乗った雪の結晶を踏んづける大人になったらどうしよう。
 怖い。自分が空っぽなこと。鬱をなくしたら、なんにも残らないこと。自分が縋って生きてきたものが分からなくなってしまうかもしれないこと。自分がなりたくないと思う大人になること。

 怖いなぁって思う。今だってほら、苛立ちや虚しさは湧いてくるけど、浮かんでは消えて、まるで花火みたい。一瞬の轟音に耳を塞いで、そのままふと上を見たら、寿命一秒の大輪が咲いたような気持ち。でもそれは所詮冬の花火に過ぎず、夏の、雰囲気や人々の期待感、全てが合わさった圧倒的なパフォーマンス性のものじゃない。
 ぱちぱちと音を立てる線香花火にもなれない。そんな穏やかで刹那的な美しさもない。
 汚い汚い、夏に咲けなかった売れ残りの冬の花火みたいで、音ばっかりはうるさくて、品性の欠片もないな。
 わたしが翻訳家なら、小説の中に「imitation melancholy」っていう言葉が出てきたら、「冬の花火」って訳したい。imitation melancholy、なんて言葉は今完全にわたしが適当にくっつけた言葉だし、わたしの英語の偏差値は52だけど。
 直訳すれば「まがいものの憂鬱」です。

 孤独でむき出しの感性を痛がってる鬱な自分を、夏の花火なんかに例えてる時点でもうだめ。バカ。浸るな。
 また苛立ちの花が咲く。苛立ちの花、からたちの花みたいな語感。白秋先生に怒られてしまうな。
 そういえば北原白秋が柳川(福岡の地名)出身だから、今日ニュースで、柳川の子供たちが白秋先生作詞の童謡を歌うっていうイベントを紹介してた。
 いいね。綺麗な言葉は綺麗だし、綺麗な音色は綺麗だし、それだけはずっと変わらないから。わたしが変わっても、それだけはずっと変わらないから。
 今日歌ってたガキんちょ達が、大人になってふとした時に『この道』を口ずさめばいいな。あーこれなんか歌ったなって思い出したらいいな。


 ちなみに全然今は鬱じゃなくて、なんとか鬱っぽい感性を取り戻そうともがいてる(struggle笑)試作品です。



軽い日記
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・今日模試でした。友達がちょっと前に、カスライフハック(カスって言ってごめん)で、共テの古文漢文は本文を読まずに、選択肢の中で辻褄が合うストーリーになる選択肢を選べば7割くらい取れるみたいなこと書いてて、さすがにちょっと本文は読んだけど意識してやってみたら、ほんとに文法以外全部出来ててウケた。
 あと英語の時、全く頭が働かなかったので、同じように、選択肢の中で辻褄が合うように適当に解いたら自己ベスト更新してワロタ。
 ありがとうございます。間違いなくカスライフハックで神ライフハックでした。

・やっぱり『チ。』、今のところすごく面白い。バデーニさんがすきで困ってるよ。 不遜金髪美少女顔(男)、オタクの夢? 単純に作品を楽しみたいのに、好きな顔が好きな声で好きな話し方してるから全然集中できない。かっこよすぎ。
 でも残念ながら事前情報として、出てくるやつはだいたい死ぬ、が分かっているので、オクジーくん共々、彼らの行く先を見届けたい。4年前くらいのうっすい記憶によると、三部作(って言ったらなんか違うけど)だったような気がするから、このふたりが第2部なんだねぇ……って感じ。
 あと母親がグラスさんのこと絶望先輩ってあだ名つけてて面白い。

・わたしの大好きなソシャゲ、魔法使いの約束が最悪の形で炎上に巻き込まれてるんですけど、ボケカス最低なことに巻き込むなよと腹が立ちつつ、オタクの過剰な界隈上げにもそろそろイライラしてきた生きづらい人間です。
 オタク社会にすら居場所がない。逆カプは死ね。


*穴を掘っている/amazarashi
*冬の花火/太宰治
*クーリッシュ コーヒー味

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