歳をとった父がいつまでたっても「ワシは○○じゃ!」という口調にならない件について【雑記】
お世話になっております。
KANOENOです。
ちょっと気になっていることがあったので、共有します。
ワシは○○じゃ!
フィクションのキャラクターづけで、年配の老人の言動に「ワシは〜」とか「○○じゃ」とかあるじゃないですか?
こういうキャラの人とか、
こういう人や、
等の人たちの口調ですね。
マンガとかでは、未だに見かけるものだと思います。
で、ふと思うのです。
「実社会でそんな喋り方してる年寄おる?」
広島にはいるかもしれませんが、正直一般的にはあまりみかけませんよね。
年長者は、自分の事は、僕、俺、私といい、会話の末尾は、ですますであることのほうがほとんどです。
そういう人たちはどこにいたのだろう?どこへいったのだろう?あるいは、歳をとって社会的フェーズがあがると、自然とそういう喋り方になるのか?
いえね、小さい頃漠然と思っていたんですよ。というかつい最近まで思ってたんです。
子供は、ぼく、おれ。
社会人になると、わたし、わたくし。
年老いて定年をすぎると、どこかのタイミングで、ワシになるんだろうなあ、などと。
そんなことはなかった。
自分もならないし、団塊の世代である親父もならない。
ワシ呼びの原典
じゃあなんでそういう言動がフィクションに横行したかっていうと、これは戦中の特定若年世代が、子供の頃の口調として「ワシは○○じゃ!」言っていて、それが、フィクションが多く作られた高度経済成長期に、中高年になっていて、たまたま年寄りが多かったので、当時のわかりやすいキャラ類型の一つとして定着した、ということっぽいんですよね。
※↑はだしのゲンは広島だけれど。
面白いのが、その世代って令和の現在はそろそろ亡くなって、いなくなりはじめているんですよね。でも、キャラだけは残り続けているっている。
今後もフィクションにおいて「ワシは○○じゃ」というキャラって残ると思うんですよ。フィクションのなかでのこっていたので、引き継がれたんですね。
世代によってはもはや実感できないものになるのだろうな、と考えると、物語を通して文化の中にキャラクターの定着するというのは、なかなか面白いものだなあ、などと。
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
映像研、一巻無料。それはそれとして、ちょっといい年頃になったら、若い世代の期待に答えるために、僕も自分のことをワシよびしてみようかな。