【秋田県北秋田市】阿仁で見たマタギ文化と阿仁鉱山の歴史
山々に囲まれた秋田県では、行政区分上は大きな町の一部でもその町の中心部からはかなり離れており、独自の雰囲気を今でも色濃く残した地域というものも数多い。
秋田県北秋田市にある阿仁もそういった集落の1つだ。
北秋田市は2001年に鷹巣町、合川町、森吉町、そして阿仁町が合併してできた比較的新しい市だ。
秋田県北部の中央に位置し、その面積は由利本荘市に次ぐ秋田県で第2位。秋田県全体の面積の1割を占める巨大な街だが、そのほとんどは山林に覆われた自然豊かな街でもある。
この美しくも厳しい自然環境の中で育まれた文化であり、そして恐らく多くの人が阿仁と聞いて真っ先に思い浮かぶ存在といえばマタギだろう。
独自の宗教観を有してきた猟師の集団であるマタギは秋田県を中心に彼らが住んでいたと言われる集落が北日本に点在しているが、その発祥は阿仁にある根子だとされている。
現在は大きく数を減らしているマタギであるが、その文化の影響は秋田県内では強い。有名どころでは秋田犬のルーツはマタギが用いてきた狩猟犬だといわれている。
また、三湖伝説の主人公である八郎太郎も現在よく語られるストーリーでは鹿角出身のマタギであったとされる。
今回訪れたのは、そんな阿仁の中の山中にある打当温泉 マタギの湯だ。
マタギの湯の名前の通り、打当は有名なマタギ集落の1つだ。マタギに関する書籍を読んだことのある方ならご存知だと思うが、マタギの中でも阿仁マタギはこの打当と比立内、そして根子の集落にそれぞれ住んでいた。ここに来るまでの道中でも、これらの地名の看板が目につく。
阿仁のマタギ集落は、とにかく山と集落とが近い。道路の脇に家々があり、そのすぐ後ろが山だ。
今回は日帰りの利用だったが、マタギの湯では宿泊もできる。
というか宿泊プランでは料理として熊鍋や自家製のどぶろくなども提供される (※)ので、むしろ本来であれば宿泊の方がメインだろう。
また、2024年6月現在は中止されているために利用できなかったが、日帰り利用として温泉や休憩に加えて地元の山の幸を楽しめる食事付きの日帰りプランもある。
このほかにも併設されている食堂ではうどんなどの軽食の他に、ラーメンの上に熊肉やうさぎ肉がトッピングされたメニューが提供されていた。
※ 北秋田市は阿仁マタギ特区としてどぶろく特区に指定されているので、地場産の米を使ったものを地区内で消費する場合に限り製造・提供できる。なお北秋田市は秋田県で最初にどぶろく特区になった市町村だ。
温泉や土産物コーナーで思いの外のんびりしてしまったが、今回ここを訪れた1番の目的は併設されているマタギ資料館だ。
展示しているものの規模はさほど大きくないものの、おそらくマタギに関する展示としては世界最大級の展示を行なっている資料館だ。
資料館の中には実際に猟に用いられていた罠やかんじき、村田銃の現物をはじめ、かつては重要な収入源だった熊の胆の現物や山の神に備えることで有名なカジカの干物などマタギにまつわる幅広い資料が展示されている。
中でも驚いたのは秘伝書だ。
シカリと呼ばれるマタギのリーダーはそれぞれが秘伝書を所有しており、これを根拠に全国の山野で狩猟を行ったり動物を殺生したりすることが許されていたと言われているほか、これを持っていれば魔物に襲われないとも考えられていたという。
本で読んだことがあり存在は知っていたが、いざ実物を目にするとかなり興奮した。
どことなく信じ難いというか、まるでフィクション作品の中の話のような感覚をずっと覚えていた中で (というか恐らくフィクション側がこういった実在文化などを参考にしていると思われるので、順序が逆であることは理解しているのだが)本物を目にすると確かにそれらが実在した、そして実在する文化であると認識できた。
続けて訪れたのは道の駅あに・マタギの里。
旧阿仁町の中心部から打当に向かう道中にある道の駅であり、先ほど名前を出したマタギ集落の1つである比立内に位置する。
マタギの里の名の通り、山菜は勿論のこと冷凍のツキノワグマ肉や火傷などに対する民間療法に用いられるクマの油などが販売されている。
また、この辺りは渓流釣りのスポットとしても有名であり釣り人向けの案内も多く見られた。
さて、ここまでは阿仁のマタギ集落を紹介してきたが、旧阿仁町の全てがマタギ集落ではない。
むしろ、阿仁の歴史を語る上では阿仁鉱山の方が欠かせないだろう。
阿仁鉱山は1309年に開発されて以降、1987年に資源が枯渇するまで700年近くもの間採掘が続けれていた。
1309年に見つかったのは金山だったが、のちに銀や銅も周辺で見つかり後に銅山として有名になった。
明治時代にはお雇い外国人のアドルフ・メッケルらが来日したほか、発明家と知られる平賀源内も阿仁鉱山の技術発展に一役買っている。
そんなかつての阿仁の歴史を伝える施設が旧阿仁町の中心部にある阿仁異人館・伝承館だ。
秋田で鉱物にまつわる博物館といえば秋田大学鉱業博物館が有名だが、こちらも無料で入れてしまったのがいまだに信じられないほどの展示物の量と質だ。
秋田県各地で採掘される鉱物資源の数々の展示に始まり、実際に鉱山で使用されていた道具の実物や設備の模型が展示されている。
そして伝承館を進んだ先にあるのがかつてお雇い外国人が暮らした煉瓦造りの官舎だ。
今でこそ日本の大都市の空港からはドイツまでの直行便が何本も飛んでいて、丸1日程度で阿仁とドイツの主要都市の行き来もできる。
しかしこの時代、移動だけでも途方もない時間がかかる上にその道中も現代と比べて安全とは言い難かったはずだ。
しかもヨーロッパとは気候も大きく異なり、感染症にでもかかれば元々この地域に住んでいる人々よりも悪化するリスクだって大きい。日本に来たお雇い外国人達は、二度と祖国の土を踏むことはないかもしれないという覚悟を持って来ていたのだろう。
お雇い外国人には当時破格の賃金が払われていたという話は聞いているが、それが目的ではやっていけない仕事だったはずだ。
間違いなく志があったからこそ、こうして日本各地に今でも彼らの名や生きた証が残っているのだろうと感じた。
狩猟採集から鉱物資源まで、様々な形で山の恵みを享受し暮らして来た人々の歴史が残る阿仁。
深い山々に囲まれた景色の中でそれらに触れるからこそ得られるものは間違いなく多い。
この夏の旅の目的地としておすすめの町の1つだ。