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【ネタバレ】そろそろ『炭の町のシロ』のダンシャーリの話をしたい

 先日、クレヨンしんちゃん『炭の町のシロ』についての記事を公開した。

 以前の記事は未プレイ者向けにオススメしたいポイントなどをまとめたものであったが、今回は主にクリア者向けにストーリーの感想、特に登場キャラクターの1人であるダンシャーリのキャラクターとしての素晴らしさを取り止めもなく書き連ねた内容である。

 当然ながらストーリーの核心やエンドロール直前に判明する事実などのネタバレが多数含まれており、未クリアの状態で読んでしまうとゲーム体験を損なう可能性があるため注意してほしい。

 まず前提として『炭の町のシロ』のストーリー自体が「湖の下に沈んだかつての鉱山の櫓を見たしんのすけが空想したもの」という解釈もできるが、とりあえず「炭の町」やそこに生きている、そして生きていたものたちは確かに異世界に実在していたものとして話を進める。
 もちろんフィクションを現実的な視点で考察する楽しみも存在するが、特にこういった作品については不思議なことを不思議なままで終わらせられることも、フィクションの良さだと自分は思っている。

冒頭から度々出てきた湖から顔を出している構造物の正体に
FFXのザナルカンドを思い出していたら本当に最終盤に
祈り子のような人々が出てきた時は正直クスリときた。
スミ「俺、消えっから!」

 まず何より主題歌である『磁石でいうとNとS』が本当に見事だ。冒頭に流れた時はなんとなく聞き流してしまったが、クリアしてからは何度聞いたか分からない。この記事もこの曲を聴きながら書いていている。
 炭の町は現代のプレイヤー目線では過去の世界のように映るが、炭の町に生きる人々からすると確かに今生きている世界だ。
 歌詞の中で幾度となく対比されている「過去と未来」がプレイ前は炭の町とオオマガラナイ村のように思わせて、クリアしてみるとプレイヤーが訪れるよりも以前の最盛期の炭の町と資源が枯渇して産業が成り立たなくなりつつある現在の炭の町にもかかっていると分かるのは本当に見事だ。

 炭の町を常に包む黄昏はただのノスタルジーの象徴ではない。
今まさにこの町が斜陽の中にあることが視覚的に反映された姿だ

 炭の町の支配者であるダンシャーリは、地方創生の難しさと地方官僚の悲哀そのものを描いたキャラクターであったように感じた。

 町の住民たちは食堂や銭湯やレースといった1つ1つのものに対してミクロの視点から存続を願っている。彼を支配者たらしめているムダステール家もまた、変わらないことを美徳としている。言ってしまえば上も下も望んでいるのは現状維持だ。
 しかし現実はそうもいかない。炭の町を支えてきた鉱物資源であるアラカン炭は枯渇し始めてきており、産業としての寿命がつきかけてきているのは明白だ。
 一方で鉱山採掘の影響により、かつては漁業が盛んであったことが伺える一方で河川ではかつてのように魚が取れなくなってしまっている。
 現在の炭の町は潮が満ちれば沈む岩の上に取り残されているように、進むことも戻ることもできない危機の中にある。

 この状況下で予算や人員などに限りがある以上、すべてのものを最盛期の状態で維持することは不可能だ。そうなると「無駄と判断されたもの」は切り捨てざるを得ない。それこそ今まさに現実の地方でローカル線などのインフラ、そして祭りなどイベントが縮小・廃止されているのと同じ状況である。

 ダンシャーリというキャラクターの巧みな部分は、彼の望みが「無駄を切り捨てること」そのものではなく「炭の町を存続させていくこと」にあることがしっかりと強調されている点にある。
 更にダンシャーリは先代当主の跡を継ぐ形で炭の町の支配者となったが。妹であるユーリとそう歳が離れていないらしいところを見るに恐らく年齢は高めに見積もっても30代半ば程度。しんのすけからすれば「おじさん」かもしれないが、町を首長として導いていく立場を考えるとあまりにも若い。
 この辺りについて町の人々がダンシャーリに向ける視線は同情的だ。この描写は子供も対象にした作品だからこそ、大人が大人として振る舞っている為に生じた非現実的なまでの優しさに思えた。

 ここについてはゲーム的な都合も大きいだろうが、トロッコレースの最終ボス・あるいは隠しボスという強敵として立ちはだかっているのは他ならぬダンシャーリ自身であり、最後のコースを作ったのもダンシャーリだ。
 トロッコレースの廃止はしんのすけとダンシャーリの決定的な衝突、そして最終決戦へと繋がる理由であるが、他ならぬダンシャーリ自身はトロッコレースを心から愛しているのではないだろうかとさえ思った。

 そして何より、これまで存続してきた炭の町もまた、決して全てがうまく回っている楽園のような場所ではない。
 炭の町のモチーフであろう高度経済成長期の日本。戦時中と比較すれば断然マシになったとはいえ、この時代の命の価値は人も動物も現代と比較するとあまりにも軽かった。
 それは恐らく、炭の町も同様なのだろう。実際、幼少期のダンシャーリの心に深い傷を残した子犬のスミは、まさに活気に満ちた時代の炭の町で生じた代表的な犠牲者であった。
 スミはしんのすけたちよりも少し大人びた、しかしせいぜい小学校低学年程度の子供の姿で現れる。また、犬の姿に戻ったスミが秋田犬と思わしきの子犬の姿をしていたあたり、実際にスミはダンシャーリとユーリとの別れと共に命を落としていたのだろう。
 そしてエンドロール前にダンシャーリは「煙のない美しい町…重労働からの解放…小さい頃からの夢だったんだ…」と溢す。
 公害問題に、過酷な労働環境の中で生じた多数の悲惨な労働災害。作中では「魚が取れなくなった」と前者に軽く触れる程度に収まってはいるものの、経済発展と引き換えに高度経済成長期に生じていた様々な犠牲は、炭の町でも生じていたのだろう。
 これらはその時代を生きる人々にとっては当たり前のことであった。明確に解決すべき問題とみなされる頃には、あまりにも多くの血が流れてしまっていた。それらが「あって当たり前」のものではなく「無くす努力ができるもの」と現代にみなされるようになるまでには、幾つもの悲劇と戦いの歴史がある。

ダンシャーリが切り捨てたかった「無駄」の中には
本当になくすべきだったものもあった気がしてならない

 ダンシャーリの「無駄を切り捨てる」という手段そのものは確かに必要なものである。しかしダンシャーリの「無駄を切り捨てる」という手段だけではその場しのぎの延命にはなれど、新たな生存戦略も両立していかなければいずれにせよやがて衰弱して消えていくだけだった。
 ダンシャーリが取ろうとした手段はアラカン炭の原料である「汗と涙」を彼を崇拝する部下たちから搾り取り、アラカン炭を新たに製造することで町を存続するという方法であった。
 ユーリ曰くこのやり方は「汗と涙」を搾取される者の負担が非常に大きく、最悪命に関わるためにこの手段を見つけたユーリ自身が封印していた。
 作中の描写を見るに「汗と涙」を搾取される側の者たちは危険は承知の上である可能性が高く、そして何より今まさに搾取されつつある中の人々も感覚ははっきりと有している (それがしんのすけ達の突破口になるのだが)。
 あまりにも歪な構造の中で、一部の人間が犠牲になることで無理やりに存続させようとするという構図。これもまた地方の風刺としては目を逸らしたくなるまでに生々しい。
 そして何よりダンシャーリやその部下たちが「無駄の削減」を呼びかけているあたり、こうしてまで得たアラカン炭の量はそもそもこれまでの採掘量と比べれば決して余裕のあるものでないのだろう。
 ダンシャーリは斜陽の町の延命こそできても、根本的な問題の解決に至る道を探し出すことまではできなかった。
 スミはだからこそ、ダンシャーリを止めるために異世界からシロとしんのすけを「おしりあいの石」で呼び寄せたのかもしれない。

 オオマガラナイ村のモデルは、名前の由来からして現在は大仙市に編入された大曲市だろう。しかしこのゲームの制作においてモデルとなった場所として、大仙市の隣町である仙北市の名前も挙げられている。
 そして仙北市には、外国人観光客によって観光地として大きくその価値が見出された八幡平ドラゴンアイが存在する。

 たとえ特別な価値があるものであっても、それが当たり前に存在するものとして認識している人々の間ではその本当の素晴らしさは共有されにくい。
 その土地ならではの存在の本当の価値は、むしろ外部の人間の方が見出したり視覚化・言語化したりしやすいのだろう。
 実際、最後に水没した炭の町が辿ることになった生存戦略は実質的には鉱山都市から観光地への切り替えであった。

 歳のそう離れていないひまわりという妹の兄であるしんのすけと、元捨て犬から野原家の一員になったシロという1人と1匹でダンシャーリと「もう一度話す」ことが隠しステージの開放条件であるとともに、このゲームの全ミッションクリアの前提条件である。
 炭の町にシロとしんのすけという来訪者が招かれたのは、みそのの料理やレースといった炭の町独自のものに価値を見出し「がらくた」と切り捨てられてしまうことを防ぐ役割があったのかもしれない。
 そう考えるとクリア後の隠しコースが開放される時にしんのすけが口にする「おじさんの手品はつまらない」という発言は (しんのすけ本人はそこまで考えたものではないだろうが)これから新たな価値を生み出そうとするものさえ切り捨ててしまうダンシャーリの行動の危うさをついた、非常に的を得た発言にも思えてくる。

兄妹はそれぞれのやり方で
町を変えることを選んだ

 スミとのあまりにも理不尽な別れを経た兄妹は、それぞれの形で「変わらないこと」を美徳としてきたムダステール家の家訓とは訣別し、自分たちの手段で炭の街を導く手段を得た。
 カリスマ性で人を導き無駄なものを切り捨てる兄ダンシャーリと、市井の人々の声を聞いて寄り添い新たなものを生み出す妹ユーリ。2人は正反対でありながらも確かに町と人々を心から愛し、未来を切り拓こうとしている。

 大きく変貌し、そしてこれからあり方も変わっていく炭の町を前に不安を口にする住民もいる通り、これから炭の町が歩む道のりは決して平坦なものではないだろう。むしろ大人たちの本当の戦いはこれからなのかもしれない。

 それでもこの兄妹が導く炭の町がこれから歩む未来は、しんのすけとシロ、そしてプレイヤーの目から見えない遠い場所でも大丈夫なのだと信じたい。

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