人の嫌がることがお金になるのか?
おはようございます!!
先日、何かのTVを見ていましたら経済学者の成田悠輔さんが「人の嫌がること・人に嫌われることの大切さ」みたいな話をされていました。
なので、私も以前にお勉強しましたお話を、ちょっと違う視点から話したいと思います。
それが今日から、「人の嫌がることがお金になるのか?」というお話です。
自分が小さい時に父親に、「人の嫌がることを率先してやりなさい。」とよく言われた記憶があります。
しかし、母は逆に「人の嫌がることは、本当に報われないことがほとんどだからやらなくていい」と言っていました。
今思えば、母は義母の介護に明け暮れていたのせいもあるのかなぁと思えるし、父は(ゴミ収集)を一時生業にしていたことから出た言葉なのかなぁと考えます。
ふと、そういったことを思い出しながら、今回は自分自身が(商売人)として「人の嫌がることがお金になるのか?ならないのか?」ということを、ちょっと考えてみたことをお話したいと思います。
人の嫌がるということは報われないという常識
みんなが嫌がることとは
皆が嫌がる仕事なので、魅力が薄く、評価されません。
変えようにも引き継ぎ相手がなかなか見つかりません。
引き継ぎを打診された人間は全員強く拒否しがちです。
皆の嫌がる仕事を進んで引き受けるとその仕事から離れられません。
肉体的、精神的負担が大きい
最初は周りから感謝されるがやがてそれが当たり前になります。
上司や周りの人たちは感謝の気持ちを忘れていきます。
「なんでもやってくれる」キャラとなり仕事量はどんどん増えます。
「お金をもらってるからなんでもやる」
一度仕事量が増えたら減りません。
そして増えてしまった仕事は減らそうと思ってもなかなか出来ません。
やっても報われない
人が嫌がる仕事というのは、その時点で仕事内容と報酬があってません。
例えばみんなが嫌がる仕事の代表格は、介護。
夜勤やフルタイムで働いても生活保護並かそれ以下の給料です。
「もっと貰わないと割に合わない」と思ったりするはずです。
報酬とリターンが割りに合ってないからこそ、人が嫌がるのです。
人の嫌がる仕事は給料は高いは大嘘!
人が嫌がる仕事というのは決して給料が高いわけでもありません。
むしろ仕事から見れば待遇が全く割に合わないです。
他に行くところが無いと思いこんで居るような人間ばかりです。
人の足の引っ張り合いをしたりして人間関係だけで大きく疲れます。
様々な理由が重なって人が嫌がる仕事は出来上がっているのです。
仕事=人が嫌がることをやりお金を頂く?
仕事は何かをする対価としてお金もらっています。
対価を得る代償が「人が嫌がることをやっているから」という風潮です。
対価として賃金を得るのは苦痛に対してではなく「成果」と「価値」にです。
仕事をすることによって食品や製品などの価値が産まれました。
誰かの出来ないこと、対価を払ってでもやってほしいようなサービスのことです。
肉体的、精神的にポジティブな影響を与えた対価として支払われます。
対価=成果・価値に対する支払い
YouTuberの「動画で何かを発信したい」のは「やりたいこと」です。
編集や、事務所や案件依頼主とのやりとりなど、「出来ればやりたくないこと」も発生しています。
ひたすらに編集をしつづけても対価が支払われることはありません。
仕事は「嫌なこと・嫌がられることをやるのが当たり前」ではありません。
仕事=好きなことだけじゃない、価値を創造して対価をもらうものです。
好きなことでお金を稼ぐのは難しい
「好きなことでお金が稼げるのが理想的」だと考えるかも知れませんが。
好きなことでお金を稼ぐのは難しいです。
「自分の好きなことと、できること、得意なこと」は一致していません。
例えば、漫画やアニメが大好きでも、コンテンツを消費し続けるだけでは一生稼げません。
「漫画やアニメ」でお金を稼ぐ場合、自分でアニメや漫画を作るでしょう。
アニメや漫画を自分でも作れたり、アフィリエイトが得意という人はその道に進めばいいです。
漫画やアニメが好きでも、お金に変える手段を持たなければなりません。
好きなことで生きている人は ‘‘ ほぼいない ’’
好きなことで生きている人にも忖度が必要な人は多いんです。
芸能人やインフルエンサー達も、お金を稼ぐためには「企業案件」や「スポンサー」の存在が大きいのです。
それなりに忖度が必要で、芸能人が大きく稼げるのはCMなんです。
サッカー選手は、契約スポンサーのモノしか、基本的に身に着けてはならりません。
インフルエンサーが「案件」を受ける場合、企業やメディアへの忖度は必須なので、言えないこともあります。
過去には芸能人の間で「ステマ=ステルスマーケティング」が横行していました。
結果的に好きなことで生きている人はほぼいません。
発信力が必要なことが多い
例えば、フリーランスカメラマンとして独立した場合、サンプル写真をアップロードし続け、自分の作品がどんなものかをタイムライン上に流し続けます。
フォロワーを時間をかけて集める必要があります。
とにかくサービスを提供するにはフォロワー(購入者)が必要です。
フォロワーを集めないとビジネスのスタート地点にも立てません。
「好きなことで、生きていく」には「発信力」がほぼ必須になります。
SNSなどでフォロワーが最低でも1000人以上いないと難しいんです。
例えば、集客には写真がメインのSNS「Instagram」を使用します。
正しい方向に正しい努力
「正しい方向に正しい努力」をしないと結果は出ません。
例えば、富士山に登る時に何も考えずに登り始める人はいません。
どういうルート(努力の方向性)があって、登るためにはどれくらいの体力と準備が必要なのか(正しい努力) ?
これらを知って初めて「正しい方向に正しい努力」ができます。
富士山登頂には、既にたくさんのルートが開拓されています。
これから登頂したい人はほぼ100%登頂できたから再現性があるのです。
「好きなことで、生きていく」ための再現性はほぼありません。
「好きなことで、生きていく」を目指すというのはそれほど難しいのです。
はい!!
今日はここまでとさせてください♪
皆さん色んな考え方があると思いますので、出来れば最後まで読んでいただき、また何かのご意見いただければ幸いです。
明日は続きで「勇気を出して挑む!」というお話をさせていただきます♪♪
また明日お会いできるのを楽しみにしております♪♪