天才 ビル・ゲイツの逸話
「COOからエッセイスト」
りゅうぐう(竜宮)からのメッセージを綴ります
ひとりの「Human being」として
ひとりの「Human doing」を
「ウイリーアム・ヘンリー・"ビル"・ゲイツ3世」はご存知のように「Microsoft 」の創業者です(写真はMSの前身のトラフィックデータのパートナー、アレン氏とビル・ゲイツ)
私は、50才の時、USマイクロソフト本社のEC事業部(日本マイクロソフト社EC事業部統括マネージャーとして出向)に入社しました
入社研修初日に人事部の責任者から入社する社員全員に必ず1番初めに、創業者のビル・ゲイツの逸話を教えられます
ビルがハーバード大学を中退し実家のガレージでパートナーと創業した時、自身で開発したソフトウェア製品を電話でいろんなターゲット顧客に電話営業をしたそうです
ビルが「こういう製品を開発したんですけど、御社でご利用頂けませんか?」とある企業に説明したら、
企業担当者がこう答えたそうです
「その製品は必要ないが、こうゆう製品があったら使ってもいいよ」
ビルはすかさず「その製品でしたらもう開発済みです、明日納品します!」と言って電話を切ったそうです(もちろんそんな製品は開発されていませんでしたが)
そして「顧客のニーズ」を掴んだビルは、直ぐに顧客の求める製品の開発に着手し一晩で完成させ、翌日納品したそうです
この「逸話」から、創業者ビルの全社員に対して発したシンプルなメッセージは3つです
① 顧客ニーズの把握(マーケットインで、プロダクトアウトではない)
②即、行動(動きながら考える)
③自身の技術力(クオリティー)は世界に比類がない
これがビル・ゲイツがMicrosoft の製品に携わるスタッフ全員に要求したDNAです
Micro 「微小世界単位、100万分の1(10-6乗)を表す」
Soft 「コンピュータを動かすプログラム」
そうです「Windows 」はこのDNAから生まれてたのです
私はUSマイクロソフト本社から「Apple 」のオフィシャルサイト並みのECサイト、サービス(Microsoft オフィシャルサイト)を創り上げることのミッションを与えられましたが、
ただ、「レポートライン」はUS本社、「実務」は日本法人、この日米のビジネススタイルの違いをハンドリングする事は簡単なことではなく、
この規模の企業が抱える「軋轢」「矛盾」は想像以上のもので、心身バランスを崩した私は、
挫折し、たった2カ月で「うつ」を煩い、辞表を出すことになってしまいました
その挫折から立ち直るきっかけをつくったのは、沖縄で小学校から高校生までやっていた「水泳」「競泳」です
50才で「マスターズ水泳」と出会い、人生が一変しました
「うつ」から私を救ったのは「水泳」というスポーツ
「水の時代」の象徴です
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