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14歳の頃

を、思い出そうとしてみる。今から15年前、中学2年生、制服、自転車、ジャージ、教室、グラウンド、帰り道。仲の良かった友だち、クラスメイト、担任の先生、担任じゃない先生、部活の先輩。いろんなことを思い出して、なんとなく心がざわざわする。

ざわざわするような理由、たとえば嫌な思い出があるとか、忘れたいことがあるとか、そういうわけじゃないのに、なんとなく。

16歳の頃を思い出そうとしてみる。登下校のバス、部活の帰り道、授業中のみんなの背中、制服の着こなし、友だちの笑い声、冬の体育館の寒さ。接続詞付きでいろんなことを思い出して、懐かしくなる。ざわざわすることはあんまりなくて、「もし戻ってみるなら?」と聞かれたら、この頃がいい。

14歳から16歳の間の2年間に、大きな変化はたぶんなかった。あるとしたら、中学生から高校生になったこと。ただそれだけ。

中学2年生ってどうして、ざわざわするんだろう。ちゃんと振り返ってみたら、つらいことも悩みごとも、高校生の頃のほうが多いような気がするのに。

公式サイトのトップに、こんな文章があった。

まだ子供か大人かも曖昧なその瞬間、私たちは、何に傷ついて、何に悩んで、何を後悔して、何を夢見て、何を決意して、そして、何に心がときめいていたのか。
これは、私たちが一度立ち止まり、いつでもあの頃の気持ちに立ち返るための「栞」をはさむ映画です。

私はたぶん、すごくふつうのことに傷ついて、ふつうのことに悩んでた。14歳で後悔できるほと何かを重ねていたとは思えないけど、通訳の仕事がしたいと思ってた。雑誌を読むのが好きで、都会にしかないお店に憧れていた。本もたくさん読んだ。テニス部で、どう考えてもすごく下手だったけど、がんばれば強くなれると信じてた。

学校と家が、世界のほとんどすべて。どうやら都会にあって、地方にないものは多いらしいと知っていたけど、いつか都会に出ようと思ったわけでもないし、その世界を窮屈だと思った記憶もない。

14歳の頃までの倍近い年月を生きて、行動範囲は比べようにならないほど広くなった今も、世界が広くなったかと聞かれたら、「ひと回りくらいは」と答える気がする。時々、今いるところがすごく狭く感じて、何も知らない、誰も知らないところで何かを広げてみたくなる。ほんとは、狭くなんてないし、私は私なのに。何かになりたくなる気持ちは、ずっとずっと持ったまま。

だけどひとつわかっているのは、私は今、この世界でわりと幸せに生きていること。たぶん、もっともっと年を重ねて、29歳だった頃を思い出したら、あたたかい気持ちになれるんじゃないかと思う。そんな風に、重ねていきたいなとも思う。

できれば、14歳の頃にも同じように、懐かしさやあたたかさを持って、栞をはさみたい。だからこの映画がものすごく観たいのだけど、劇場で観れる可能性は今のところなさそう。こういう時に限っては、今でも都会に憧れる。地方にあって、都会にないものをたくさん知ったけど、やっぱり文化的なものについてはなかなか追いつかない。

うまくまとまらなかったし、言いたいことはもっと別にあった気がするけど、そろそろ終わり。ちなみに私の名前、漢字にすると「栞」が入っていて。「道しるべをつけて歩いていけるように」という由来が、とても気に入っています。

14歳の私へ。29歳になった私は、想像していた大人とはちょっと違うけど、元気にたのしくやっています。いつも一緒にいた友だちは、お母さんになりました。ずっと会えていないけど、この春会いに行く約束をしたよ。アドバイスとか、こうしてほしいとか、そういうメッセージはありません。ただ今を、充分に生きてくれたらうれしいです。あ、ひとつだけ。日記とか、昔書いた小説とか、恥ずかしくなって捨てているかもしれないけど、とっておいてほしいです。今、とても読みたいです。29歳の私より。

このnoteを書いていたら、14歳の頃に思うざわざわが少し減って、14歳の私がほんのり愛しくなりました。


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