編集者として、取材して記事を書く仕事を始めて5年半ほど経ちます。メインで携わっているのは、北海道の心豊かな暮らしを伝える季刊誌。おいしい野菜を育てる生産者さん、すてきな器や道具を生み出す作家さん、心がほっと温まるカフェや喫茶店を営む人たちを「取材」という形で訪ねては、本当にたくさんのお話を聞かせてもらってきました。 農家さんの家にお邪魔して夜まで過ごした一日、馬そりに乗せてもらった日、憧れだった喫茶店の扉を開いた日。今日はここに、この夏経験したある取材のことを書き残しておこ
せっかく文章を書くのなら、できればちょっと良い感じの、意味のあることを書きたい。そんな風に思ってしまうことはよくあって、そんな風に思ってしまうから、本来ただの日記であるはずのこの場所にですら多くても月に数回しか来られないんだろう。 さて、否定するような形で始めてしまったものの、ちょっと良い感じに書こうとするのはあたりまえの振る舞いだと思う。 たとえるなら、誰かと会う前に身だしなみを整えるのと同じ。自分自身の顔も、髪質も、持っている洋服のラインアップもそれほど代わり映えしな
私にとって「言葉を見つける」ということは、木々の枝先や地面に積もる落ち葉の中からきらっと光る一枚の葉を見つけるようなこと。色なのか、形なのか、光の通し方なのか。ひと筋のきらめきにはっとして写真を撮るときの感覚と、取材ノートにメモした言葉に印をつけるときの感覚が似ていると気づいたのは、この秋のことです。 伝えることにおいてひたすらに、「わかりやすさ」が優先される今の時代に、書き出しから随分と抽象的な話をしてしまいました。でもここは、小さな遠回りを大らかに受け止めてもらえる場所
朝の台所でコーヒーを淹れたり、お弁当をつくったりしながら、朝ごはん用のかぼちゃ蒸しパンをせいろで温めようとしたときに、自分の中にある余裕を感じてうれしくなった。 今の会社に入って8年目の秋。この時期は繁忙期なので家事については潔くあきらめて、ある程度の外食もコンビニも良しということにしてきた。それが今年は週末に蒸しパンを作って冷凍し、平日の朝にせいろを取り出すくらいには生活をあきらめていない。 先週末は、畑でとれたじゃがいもを使ってコロッケを作った。じゃがいもを茹でたり、
今年の夏から秋にかけて、随分ハードな日々を過ごしていました。これまでの私だったらダメになりかけるくらいの日々を、てんてこしながらもどこかで平常心を保ちつづけていられたことに気づいて、ちょっぴりうれしくなりました。 今も油断すると、自信を持ちたくなってしまいます。確かに、時間も経験もそれなりに積み上げてきましたが、言ってしまえばそれだけなんですよね。たとえば私自身の能力がすごく上がったかといえば、そういうわけでは決してなくて。本当にただただ、時間と経験を重ねただけだってこと、
「発想力は、移動距離に比例する」という説があるらしいと知ったのは、いつのことだったでしょう。 広い広い北海道に住んでいて、取材先まで車で片道3時間なんてことは日常茶飯事。曲がりなりにもクリエイティブな仕事をしている私にとっては、ピンポイントで自分事。その説を知ってから、自分なりの検証をつづけていましたが、今辿り着いている個人的な結論としてはこんな感じです。 「北海道だから、この距離があるから、書けている」。 私が文章を書けているのは北海道にいるからなんだろうなってこと、
頭の中も、心の中も、文字だらけ。離していけたらきっと軽くなれるけど、取材と原稿とそのほかで追いつかずにいます。これは、あの秋を思い出す忙しさ。つまり、どうにかする方法を私はもう知ってるってこと、なんだろうな。 https://note.com/kanna_pan/n/nee830fd66def
また、低気圧の話から始めてしまうのですが。ここ最近、空気が重たくて低空飛行の日々を送っています。この間の夜、体調的にも気分的にもなかなかつらくなってきて、布団の中で「低気圧 対策」「低気圧 体調」などと検索し続けていたのですが、「体の湿気を取ってくれる食べ物が良い」という情報を見つけました。東洋医学の考え方のようですが、体内にも湿気が溜るなんて。取っていきたいものです。 畑を始めてから、雨の大切さをひしひしと感じるようになりました。雨をもらったとたんに葉を大きくしていく野菜
私は、いち編集者でありライターで会社員で、自分の名前で活動する作家でも著者でもありません。けれどもしも、「代表作」のようなものがあるとしたら、あげても良いのだとしたら、思い浮かぶ記事がいくつかあります。そのひとつが「函館市電の終点で、〈classic〉が照らすもの」という記事です。 もう4年前になるんだな、と思います。この記事を書いたのは、今日と同じように、しとしと冷たい雨が降る日のことでした。 取材をきっかけに、函館取材の際はほぼ毎回お店に足を運び、通えない時間も、函館
まずはじめに、たまちゃんとは、私の元同僚であり、今はフリーランスの編集者であり、洞爺湖にある「たまたま書店」の店主でもあり、そんな具合に肩書き的なものはもう少しあるのだけど、とにかくずっと私の、親愛なる人です。 いつかたまちゃんがくれた手紙に、「一体何がこんなにも、私たちを近づけたのでしょうね」と書いてありました。確かに、わからないのです。きっかけは確かに、同じ会社で、同じく編集者として働いていたこと。単純にいえば「先輩と後輩」だった私たちですが、私はたまちゃんをあまり後輩
こんばんは。6月最後の日曜日、いかがお過ごしでしょうか。私は昼間の暑さが過ぎて、やっと涼しい風が吹いてくることにとても安心しながら、音楽をかけて、6月の出来事を振り返っているところです。夜にかけて、大雨が降ると天気予報が教えてくれました。 今聞いている音楽、ここにも置いていくのでよかったらご一緒に。 どんなタイトルにしようかなとこれまでのnoteを遡っていたのですが、その大半があまり明るくはない、日向か日陰かでいえば圧倒的に後者の日記たちでした。前向きか後ろ向きかでいって
窓を開けたときの風があまりにも清々しくて、初夏だと思いました。この時期の季節の進みは目まぐるしくて、足並みを揃えられないときがある。6月の始まりの週末、やっと季節の進みと自分の足並みが揃いました。 5月の連休明けからずっと、物理的にも気持ち的にも追われていて、喉のところにいつも心配ごとがあるような、意識しないと深呼吸を忘れてしまうような、そういう日が続いています。 そういうときにできる対処法は、ひとまずゆっくり息を吐いてみるとか、胸のあたりをトントンと押さえてみるとか、な
ここひと月ほど、深呼吸がしにくかった。それがやっと緩みはじめて、あと少しで、新しい気持ちを見つけられそうな予感があります。見つけて、ちゃんと手に入れたい。そんなふうにして大好きな5月を締めくくれるならきっと幸せ。写真は私のいちばん好きな出張ホテルの朝ごはんです。
日曜日の夜、原稿を書いていたら日付が変わっていた。その日は朝7時から1本目を書いて、途中で家事をしたりお昼寝したりして、まぁまぁ順調に進み、夕方から2本目をスタート。22時には眠ろうなんて思っていたのに、結局こんな時間なんて何かがおかしい。 そもそも、木曜日にはけりがついているはずだった。火曜日まではどうにかこうにか予定どおりに進められていたのに、水曜からずるずると遅れ始めた分が後に響いた。ふがいない。もう本当にふがいないです。 深夜まで原稿を書く羽目になったのは、日中に
ここ一年くらいの間に頼られる側になる機会がぐんと増えて、たくましくなったよねって言われたりもして、確かにそういう一面もあるだろうと思う。でも、そういう風になりたかったんだっけ、とも思う。これだけ大人になっても、本当の自分みたいなことに悩んじゃうなんて。紛れもなく春です。
ここ数日、ずっと頭がいっぱいで、気持ちもすっとせず、体調までぱっとしなかった。季節の変わり目とか気圧のせいだと思っていたけど、空と風が穏やかになっても戻らない。家で過ごす休日が大好きなのに、なんだかうまく過ごせない。 そんなときにふと、遠くへ行くのがいいかもと思った。地元でも、仕事先でもない、遠くのまちで過ごす休日を想像したら、気持ちがふわっとした。 誕生日があるし、ちょっと贅沢をしてもいい。コツコツ貯めていた旅行予約サイトのポイントもある。ホテル近くの映画館で、観たかっ