「そんなことをしていては仲間外れにされて、困った時に誰も助けてくれないよ」からの脱却
先週の記事が、書いた後で読み返すと「なるほどな~、こういう心の動きだったのか」と思ったのでまとめてみる。
最近の記事から考えた
あまりスキはつかないが、この詩がここの所の私の心を一番表していると思う。
「自分」を抑え込むことを全て取っ払って、この先の心の動きにつながる。
なぜ他人に対して静かな心でいられるか。
それは、「やらされることをしていないから」。
いや、ことによってはやらされていることもあるかもしれないのだけど、自分が「納得」して、「これは嫌だけど『自分の判断』でやることにした」ということなんだと思う。
「そんなことをしていては仲間外れにされて、困った時に誰も助けてくれないよ」からの脱却
それをしなかったときの責任は自分にあるから。その時は自分が苦しむから。だから、
「あなたのため」だとか
「世間はそういうものだ」とか
「そんなことをしていては仲間外れにされて、困った時に誰も助けてくれないよ」みたいなことに
NOをつきつけた。
私には「それをしない自由がある」から。
私が受け入れるまでに時間がかかったのは、「困った時に誰も助けてくれないよ」みたいなことを、本心では信じていたからかもしれない。
子育て中、「孤独とはこういうことか」というくらい、嫌というほど一人で戦ってきたから。
だけど、今は「そうじゃない」と思う。
私は人が人を助ける時というのは、「助けたい」と思うから助けるのであって、「この人を助けないと後からどんな目に合うかわからない」なんてことじゃない。
・自分の能力を使えばこの人を助けられる
・そして、目の前の人を助けたい気持ち
・加えていえば、目の前の人が知っている人ならば、その人が好き
そういうことを考えているうちに、「そんなことをしていては仲間外れにされて、困った時に誰も助けてくれないよ」みたいなことは、違うと思った。
それは、一部のコミュニティのルールとしてはそういうこともあるのかもしれないけど、私はどこに自分を置くかを自分で決められる世界に住んでいる。
私は、「困った時に誰も助けてくれないよ」みたいな脅し文句に対して、ずっと、ずっと怒り続けていたんだ。
だけど、私にはきっと助けてくれる人はいる。そう、信じられるようになった。
誰にも助けてもらえなかったのは、私が、「助けを求める相手は、こういう関係性の相手でなければいけない」みたいな幻想にとらわれていただけだった。
そして、鎮火した。
noteを書き続けて、本当に良かったと思う。
自分の心の動きが、わかるから。
書けない時もあるけど、
スキがつかないこともあるけど、
私にとっては「自分の心の動きがわかる」ことが、
自分の考えをまとめることができるのが、
何よりも良かったと思う。
これからも、「追い続けたいもの」を見つけるために、noteを書いていく。