自転車には油を、母親には病院を。不調なママに捧げる「自分ファースト」。

突然ですが、7年ほど、子乗せ対応の電動自転車に乗っています。
町の自転車屋から「3000キロ(参考:東京からマニラまで!)は乗っているねえ」といわれるそれは、タイヤのチューブをとりかえ、ブレーキを締め、第二子の子ども用座席を増やす変遷をたどりながら、不具合にムチ打つかのように今日も私たちを運んでいます。


ある日、自転車を止めるときに使うストッパーのバネが弱くなり、垂れ下がることが多くなった。とうとう、足でえいやと上方に蹴り上げてもサビで動かず、自転車を走らせる・止めることが一苦労となりました。

「8年も乗っているからガタがきてもしょうがない」。
不快ながら「手がかかる愛着」として付き合っていこう、と2週間くらい我慢していたのですが、

自転車屋さんに油をさしてもらったら一発で直った。

これには拍子抜け。
手がかかる愛着より、かからない愛着。
そっちのほうが100倍好み!という本音と、
「プロってすごい……!」をかみしめて1週間ほどルンルンでした。

―――


さて、いったん話は変わって、世の中はおりしも「自分ファースト」が大流行しています。

社畜となって貢献するより、自分の熱量に従ってやりたいことをせよ、それがダイバシティ時代の最短で(自己)満足できる幸せな輝き方であり、それを続ければシナジー効果でもって新しい仕事(需要・やりがい)を生む……というわけらしい。

その考え方は、アリストテレスの「エネルゲイア(エネルギーをおこすこと)そのものがテロス(目的)」に似ているし、道教も同じようなことを言ってたから、古今東西あった思想だと思います。

それが今また流行っているのは、格差だコロナだのやるせない2021年の現状に
「粛々とガマンを重ねて働いてもパッとしないから、やりたいことやっちゃおうぜ!」というヤケクソ味が効いたのでしょう。

おりしもマンゴーは戦略脳を持っていないため、大人になってもそのように動いてきたのですが、母親になって気が付きました。
母が「自分ファースト」をうたいだすと、怒りだす輩がいるんですね。

例えば、私の父をはじめとする一部の層は、「母さんは夜なべをして手袋編んで」くれ、家に帰ればあったかいご飯と笑顔で迎える「べき」という幻想を信じているのです。

おぼこい母親になりたての頃は、その同調圧力に屈しそうになってたのですが……つまんねーんすよ。やっぱ。
やりたくない母さん役が気持ち悪いんすよ。

かの層がいうお母さんにはなれていないのに、その「べき論」を聞くだけで、ストッパーが錆びた電動自転車のように、しっくりいかなくなり、ワンオペ育児のツケが「不満の澱」が毒となったのか、ここ数年、体調を崩し始めました。
まあ、単に「初老のお年頃」でもあるんですケド。

だから、マンゴーはできていそうで、できてなかった
「自分ファースト」を始めようと思いたちました。

では具体的に何すりゃいいのか。
お年頃のまわりを見て思ったのは、まず、「病院いけ、寝ろ」です。
生命体のベースから疑った方がいいと思うんです。

「病院いくほど不調はない」と言ってしまうお母さんたち。
しかし、話を聞くととただ症状に鈍感になっているだけっぽい。

「夜中、急に目覚めて汗びっしょり。それが月2回ある」(友人2人談)
って何かの変化が起きていませんか?

子どもや家族のことに意識が向いて、ちょっとした頭痛、めまい、倦怠感なんか日常茶飯事だから「いつものこと」で片づけがち。
忙しから「めんどう」と流しがち。
なんとなく「良いと聞いた」健康商品を試して満足しがち。
気分の問題にしがち。

でも、私たちの身体をプロに見てもらったら、びっくりするほど回復することもあるかもしれません。油をさすくらいのことで。

こうしてマンゴーは、重たい腰を上げ、脳外科と婦人科のを予約。
脳外科では異常なし、と漢方をもらってきました。
脳外科×漢方のイメージがなかったのですが、手足の冷えがめまいにかかわるとは知りませんでした。

漢方を飲みはじめて「効いてる! 」なんて実感はありませんが、原因をひとつ潰せただけでも儲けもの。

自転車には油を、ママには病院を。
限界を超えると疲労に気付けないから、小粒の不快であるうちに、プロの手で潰しておこうな、みんな!
「自分ファースト」の一番の敵は、自分をネグる自分なんですよね。




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