幸せは歩いてこないだけど間に合わないとかないの
1/2、まだまだ三箇日。
28回繰り返してもなお特別に思える。親戚付き合いから離れた18以降は余計に。一年の計は元旦にありなんて言うから雑に生きてはおれんと思うのだ。
希死念慮を生涯かかえるっぽい我が身は隙あらば虚ろなほうへ向かいがちなので定期的に、そう、正月三箇日もふくめて、楽しい目標を考えて明るく照らしてやる必要がある。
#今年やりたい10のこと
ハッシュタグを見出しにするとどういう挙動を取るのか試してみたかった。テストケースにあっただろうか。(ごめんなさい)
さて、じゃ取り敢えず列挙!
経済的な余裕を持つ(貯金を7月頭時点でxx万円にまで持っていく。その後のことも年単位で考える)。
一件でもライティング案件を受注し、問題なく納品する。
爪切りの使い方を覚える。
3月31日までに10kgは最低でも痩せる。
防災対策を見直すタイミングを年に3回設ける。1回目は1月。2回目以降は経済的な事情から7月以降。
定着支援終了後どう過ごすか具体的にイメージする⇛終了までに習慣化する(のがベスト)
一次創作を始める(二次創作のときみたいにSNSを用いて軌道に乗せられるとベスト。楽しくコミティアなどに出られるとよりよい。これは姉の姿勢を見習いたい)。
アラサー用化粧品の見直し(9月)
やらないこと(長時間にわたる自己嫌悪とか)をはっきり決める。その上でその時の回避策(爪を切る動画を観るとか)が手につきやすいような動線を作る。
お母さんにお金返す(下期)。
取り敢えず列挙と言ったのにかなり具体的に書いてしもうた。まあいいか。本当はこういうのも他人にレビューを頼んで修正したほうがいいんだろうけど……誰に頼むかによっても方針が変わりそうなので要検討。
意味深なタイトルは何だったの!?
タイトルに書いたのは友達が教えてくれたボカロ曲「幸せは歩いてこないだから殺してクレメンス」にちょっと引っかけたものだ。20秒で終わるから聞いてみて!
幸せはこっち向いて歩いてきてくれるようなものじゃないので本当に私も殺してクレメンス……うそうそ、でもこの言葉が実際わたしに突き刺さるのは「だから歩いてゆくんだよ」っていうのが絶望的に映るからだ。幸福をサンドイッチする苦痛が見える気がするのだ。
他の人が幸福を手にして…私の現状になぞらえるなら安定的な就労を手にして…大変でも休まずにやれるっていうところまで達成しているのを見て「だから歩いていくんだよ」と言われても「だから歩いてるっつーの」と思う。私はのろまでクソ不器用で生意気で、目も当てられない。
だからか知らないが生きる肚が決まらない。
でもちょっと落ち着いて考えてみて、少し考えが変わった。別に幸せはいじわるしてどこか行こうとしてるのではなく、むしろ頑然として私を待っているのではないかと思うようになった。
それなら私はそこに向かっていくだけで、タイムアップがあるわけではない。どうせ人間が死ぬタイミングなんか選べなくて、それは次の幸福に向かう道中の苦難の中かもしれないし、たまたま幸福のさなかかもしれない。
幸せは締め切りがない。どの幸せが最後の幸せになるかは選べないけど。だったら、「幸せは歩いてこない」のあとは「だけど間に合わないとかないの」と思っておいたほうが生き急がないで済むかもしれない。そういうつもりでこのタイトルにした。
若干思想が藤井風に寄ってきた説がある。((
そんなわけで、間に合うかもしれない幸せに向けて2025年頑張ろうと思います。ありがとうございましたー。