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京急の街「弘明寺」|アーケードが愛され、アットホームである理由

京急の街シリーズも記念すべき10回目。
みなさん読んでいただきありがとうございます。

その日通りでカメラを構えていると、おばあちゃん二人組が話しかけてきた。

「あんた、カメラやってんの?あたしも実は昔やっててねぇ。お教室に通ってたんだ。あんたのカメラはなに?ごめんねぇ、カメラ持ってる人見ると、ついつい気になっちゃうんだよ。いいのが撮れるといいねぇ。」

カメラ構えてて、こんな絡み方をしてくれる街、初めてだった。

そんな街はKK43、「弘明寺」。弘明寺駅は品川から45分ほど。普通しか停まらないので、神奈川新町や横浜にて乗り換える必要がある。(横須賀側からの場合はエアポート急行も停まる。)横浜市営地下鉄ブルーラインの弘明寺駅もある。

駅は小さな山を切り倒して設置されたような場所にあり、その山はそのまま弘明寺公園という公園になっている。頂上には展望台があり、横浜が一望できておすすめだ。

弘明寺でぜひ紹介したいのが、商店街である。

アーケードの商店街であり、吉祥寺や武蔵小山などに匹敵するくらい、未だに健在で街の個性となっている。

今回は弘明寺のアーケード商店街を歩いて撮った写真をご紹介したい。

駅から道なりに坂を降りると弘明寺がある。そしてその先がアーケードの商店街だ。

アーケードの手前にも歴史を感じさせる商店が並ぶ。そしてここに人通りが結構あることがこの商店街の特徴だと思う。

アーケードが愛された歴史

その歴史を「はまれぽ.com」さんが紹介している。

戦災を免れた弘明寺は人々が流れ込み、1946年当時は伊勢佐木町をしのぐにぎやかさだったというからおもしろい。

そして捺染工業という産業が盛んだったようだ。
捺染工業という言葉は初めて聞いた。
これも、はまれぽ.comさんが紹介している。

「横浜スカーフ」とは、生糸業や絹製品の輸出が盛んで、捺染技術者が数多くいたという開港後の横浜で生まれた伝統工芸。

ということで、この捺染工業を中心に人があつまり、「1956(昭和31)年には当時、東洋一と呼ばれた270メートルのアーケードが完成。」というほどの商店街になったのだろう。

本当に「東洋一」なのかはよくわからないが、当時の人の商店街でなにかやってやろうという意気込みを感じる。
そんな商店街が今でも元気であるということは、その歴史を未だに背負っているようにも感じるし、実際に歩いてみるとまだまだ昔の店がたくさんあっておもしろい。

アーケードの内と外、アットホームである理由

カメラをもってアーケードを歩くと、おもしろい。
それはアーケードの外と内があるからだ。

アーケード内はシャドウとなり、脇の小路はハイライトとなる。
小路は室内でいう「窓」のような存在だ。

きっと街にとってもそうなのだろう。
このアーケードをホームとして、その中を歩き回ったり、立ち止まっておしゃべりをしたり、くつろいだり。

そこから出て、また自分たちの家に帰っていく。

アーケードにアットホームな感じがあるのは、そういうことか、と思った。

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