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ミラノの死にたいあの子

社会人の友人 Nちゃんには夢があるの。
彼女はその夢のために毎日がむしゃらに仕事してる。いつか認められる日を信じて、くったくたになりながらがんばってる。

その姿をいつも隣で見ていた私は、

「がんばってね」
「そんなにがんばりすぎないでね」
「Nちゃんの心の健康が1番だよ」
「今日もおつかれさま」
「疲れたよね」
「飲みに行こうか」

正解のことばを探し続けるくらいしかできることがなかった。ミラノで出会った彼女は、「死にたい」とよく口にするから、「死にたくなったら電話してね」と言ってお別れしてきた。


私は自分の過去を正当化するのが上手だから、20年の人生を振り返っても、別に全部いい経験だったな、って思う。これからも、まあどうにかなるんだろうな、って思う。
そういう私だからこそ、Nちゃんは私を必要としてくれたんだと信じたいけれど、私はどうしたら彼女を楽にしてあげられるのかずっとわからなかった。私も苦しい経験をもっとたくさんしていたら、Nちゃんにもうちょっと優しくなれるのかな、とか思ったりした。


彼女の「死にたい」っていう言葉が、どれだけ本気なのかはわからないけれど、彼女によると「死にたい」と言うことで少し楽になるらしい。

わからない。
私にはその感情が全然わからない。
死にたいと思ったことがないし、辛い経験はそれなりにあったはずだけど、「死にたい」という発言は何よりもタブーであると、誰に教えられたわけでもなくそう思い込んでいる節がある。

死にたいと思うくらい自分を追い詰めてる Nちゃんには、死にたい人の気持ちがわかるのかな。

そう考えたら、「大丈夫だよ〜」っていう私の言葉が無意識に誰かを傷つけてしまうこともあるのかなって思っちゃったの。
私が不幸になったって誰かが幸せになるわけじゃないのはわかってるよ。
不幸くらべなんて意味がないこともわかってる。
みんな苦しみの許容量が違うことも、わかってる。
でもじゃあどうしたら苦しい人の気持ちがわかるようになる?
いや、所詮人の気持ちなんてわからないのも、わかってるの。

わからないから、傍にいてみたんだけどね
ある日、Nちゃんが彼女の夢について話してくれた。
そのときにこんなこと言ってた。

「私はネガティブだけど、別にこのままでいいと思ってるんだ。ちょっとくらいネガティブでいた方が、人に伝わるものがあると思うの」

じゃあ、ポジティブくらいしか取り柄のない私が、Nちゃんにしてあげられることってほんとになんにもないじゃんって思っちゃったけど
意識的にネガティブを維持してると話す Nちゃんはなんだか生き生きしてて、安心した。

Nちゃんはきっとこれからも「死にたい」って口にしながら、強く生きていく。
死にたくなるくらい、一生懸命生きていく。

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