日本をベネチアにはしたくない
海の都ベネチア。
美しい運河。色鮮やかな建造物。世界に誇れる歴史。
陽気な地元の人たち。はどこ…?
一回目はひとり旅。二回目は日本から遊びに来てくれた従兄弟と。ミラノ留学中に2度も訪れました。
それはそれは夢のような空間で、「ディズニーシーみたい!」と何度口にしたことか。
(本当は「ディズニーシーがベネチアみたい!」が正しいんだけどね。)
5世紀頃にゲルマン人から逃れるために本土のヴェネト人によって建設されたベネチアは、街中どこもかしこも歴史を感じる建造物で溢れかえってる。
イタリア人の友人たちが、「ベネチアはイタリアじゃない」とこぞって言っていたけど、私が想像していたイタリアはそう!これだよ!!
飲食店で賑わう通りを歩いていると、お店の前を通るたびに調子の良い店員さんたちに「chottomatte! oneesan!」と日本語で声をかけられる。(日本人の観光客が多いの。)
躊躇なく私のパーソナルスペースに入りまくってくるから息つく暇もない。この非日常が楽しいのよね。
あれ?でもさっきからイタリア人を全然見ない気がするな。ふと辺りに耳を澄ますと、聞こえてくるのは、英語、中国語、ロシア語、日本語、、
ここ、どこだ?
地元の人が経営していそうなお店を見つけた。ゴージャスな仮面🎭の数々が展示されている横に、
「買わないなら写真・動画禁止。」と書いてある看板が置かれている。恐る恐るお店に足を踏み入れると、店員のお爺さんはにこりともせず座ったまま。客は私だけ。張り詰めた空気に耐えきれなくて、私が拙いイタリア語で話しかけてみることにしたの。
"Che bella maschera! La tu fai qui?”
「とってもすてきな仮面ですね!あなたがここで作っているんですか?」
するとお爺さんの表情が一瞬にして綻んで、なんだか安堵している様子。
私もその顔を見て心底ほっとした。
そうだよね、嫌だったよね。自分の国にいながら慣れない顔つきの人たちに囲まれて、自分の国の言葉が通じない人たちばかりなんだもん。
きっとベネチアはここ数十年の間でみるみる変わっていったんだろうな。観光客だらけになって、移民が増えて、文化は変わって、物価は高騰して、住むところが無くなった地元の人たちはどんどん外に移住して。
それをこのお爺さんはずっと目撃していたと考えると、本当に悲しくなっちゃった。
結局お爺さんは優しい口調で何から何まで教えてくれた。
「ベネチアはイタリアじゃない」
たしかに、もうすぐイタリアではなくなってしまいそうだった。
観光業で成り立っているベネチアだからこそわかる、人が大量に流れ込んでくる怖さ。文化が失われる怖さ。
人々はそれを多様性と呼ぶけれど、
うーん。。私には世界中でベネチアが再生産されるだけな気がしてならないよ…
そうなったら行き着く先は多様化の真逆、画一化なんだよなあ。
日本に帰国後、電車に乗っていて車両内に日本人が私ひとりだけになったとき、ベネチアでのこの記憶が蘇ったんだ。