失敗の記憶を増大させない方法
過去に失敗した記憶が、ここぞ!という時に呼び起こされて、萎縮してしまうことはないでしょうか。
私にはいくつか、呪いと化した失敗の記憶があります。
呪いができる工程を、少し冷静に考えてみると、失敗の記憶を思い出そうとするたびに、ネガティブな感情と記憶が結びついて、事実以上の大失敗の記憶として定着していくようです。
つまり、記憶の中にとどめて置くだけだと危険な様子です。
先日、失敗した直後に、日記のようなものを書きました。
そして今、時間をおいて、再度その時の文章を読んでみました。
思っていたよりも、落ち着いて、「なんだ。そんなことか。」と読むことができました。失敗の記憶が、事実以上に増大することを防げたようです。
呪いをこれ以上増やさないように、私の場合の、対処法のポイントは1つ。
「事実をきちんと記録しておく」こと。
恥ずかしいけれど失敗の記録と合わせて、記録することを忘れないように、という記録でした。
====以下、演奏会での失敗の記録=====
早く終われ、、、やっと終わる、、、
と思いながらなんとか吹き切った演奏会。苦しかった。
今日は所属するアマチュアオーケストラの演奏会。私はトランペットを吹いている。1曲目はまだ落ち着いて楽しく演奏できたと思う。ことが起こったのはメインの交響曲。
ステージに上がるところまではそこまで緊張していなかったはず。
きっかけは、自分のトランペットの、2番ピストンの動きがややおかしいことに気づいたところから。
動かないわけではない、やや動きが悪い程度。
かつ今日の曲は、ほとんど2番ピストンを押したまま動かさなくて良い曲。
冷静に考えればほとんど問題がないはずの事象だったけれど、舞台の上でのちょっとした不安は爆発的に大きくなって、ミスを引き起こし、ミスがまた不安を呼ぶ負の連鎖にどんどん落ちる。
ガチガチに力が入って、いつもは楽に出るような音も出ない。
力んで音を出すと目眩がする。
自分の音がないパートが来たときのつかの間の安心感。
弦楽器のメロディを聞くふりをして、気持ちを落ち着かせようとするのに必死になる。
もうすぐ、自分の演奏パートが来てしまう…また押し寄せる不安。そしてなんとか、演奏を終えた後のなんとも言えぬ疲労と悲壮感…
演奏会中はあんなに動きが悪かったピストンは、終わって動かしてみるとなんてことなかったようにするする動いた。
これは一体…(呪い?)
力が入りすぎで変な押し方をしていたのか。
いずれにしても、演奏が少しトラウマになりそう。次の演奏会までに克服できるかな。それとも、私は割とケロッと忘れられるかな。
失敗の記憶は怖い。次の演奏会も怖くて楽しめないかもしれない。ここに言葉として残しておくがどうかも迷った。後で録音を聞いてみたら案外ちゃんと吹けているかもしれない、そうしたらこの記憶に「失敗」のラベルを貼らなくても良いのでは?…
それでも、やっぱり、演奏会の後には私はしっかり落ち込んだ。失敗した、と思った。悲しくて、みんなに申し訳なくて、恥ずかしかった。準備が足りなかった。練習も足りなかった。怠ったことがたくさんあった。
なので、今回は「緊張と失敗」の記憶として、苦しいけれど記録しておこうと思った。
きっと次の演奏会は怖いだろうけど、それでも楽しめるように頑張ってみよう。演奏会の帰り道、電車に乗りながら、ほやほやの思いの記録でした。
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