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なにが正しいかより、なにが美しいかを感じて
自分のコンプレックス。
それは、世間が作った基準に引っぱられた価値観のもと生まれたコンプレックスだということに気づく。
すごくムカつくし、気持ちは晴れないし、悔しい。
だけど、負けたくないし、受け流せるようになりたいし、凛としていたい。
でも、別に勝ち負けじゃないんだよねと、冷静になると思えるし、そう思える引き出しを持っている自分の価値観は悪くないとも思う。
だいぶ、ざっくりとした曖昧な表現で話してきたけど、コンプレックスってなかなか開示しづらいもの。だからあんまり明確に表現できないわけで。
突然、コンプレックスを感じる瞬間はやってくる。それって比較対象があるからなんだと思う。その比較対象に対して、勝ち負けとか優劣のフィルターで物事を見ると、たちまちコンプレックスの波はやってくる。
そして今日。その比較対象は突然やってきて、一気に気持ちは荒れた。R–1グランプリを夫婦で楽しく見ていたのに、突然楽しい時間は壊された。
ヒートアップし、夫と意見を交わす。夫はR–1を見たかっただろうに、申し訳ないことをしてしまったけど、私の荒れた心は誰かと話す以外晴らしようがなかったので、とにかく話まくった。
おかげで、荒れた心はだんだん収束し、冷静を取り戻した。(夫くんありがとう)
結果、思うことは、
なにが正しいかより、なにが美しいかを感じる。
勝ち負けとか、善悪とか、優劣とか、正しいとか間違っているとか、白黒ハッキリしないと気が済まない性格なんだけど、ひとたびそのフィルターを外して、「美しいか美しくないか」のフィルターを通して物事を見ると、不思議なくらい落ち着くことがある。
今回もそうだった。
それは美しくなかった。だから、そっとしておくし、咎めないし、哀れみの気持ちを抱くことになる。それで良い。別に見下しているわけじゃない。
美しい基準が自分と違うだけなんだ。
なにが正しいかより、なにが美しいかを感じる。
この言葉に出会ったのは、心理カウンセラー宇佐美百合子さんの本「もう、背伸びなんてすることないよ」
何かあると、かれこれ10年以上はこの本を開いている。
この本の素敵なところは、心のテーマ別になっていること。
疲れたなあって思ったとき
悲しみに沈んでいるとき
心が波立っているとき
道に迷ったとき
勇気がほしいとき
そのときの自分の気持ちのページを開いて助言をもらうときもあれば、ドッグイアーをした好きなページを見返すこともある。とにかく頼りたいときは、いっせーので本を開いて、開いたページを読むことにしている。
今回は、2つの言葉に助けられた。
なにが正しいかより、なにが美しいかを感じる。
もう1つは、この言葉。
イライラを昇華させる得意技を見つけよう
だから今、私はnoteを書いてイライラを昇華させ、この後は大好きなダウンタウンのガキの使いを見ることにする。
これでコンプレックスで感じたイライラとはおさらばだ!!