不自然な道理
そもそも、道理に不自然さはない。
矛盾や違和感も起こらない。
実にシンプル。
真善美の極致。
然し、人間は、この道理に反した生き方をする。
その反対のことをしたがる。
なぜか。
人間は、何も分かっていないのに、分かった振りをする。
いわゆる知ったかぶり。
「いやあ、私は知ったかぶりなんぞしていませんよ。分からないことは分からないと云うし、反論もしません」。
なるほど。
そういうことか。
ならばお主、人生の上で、もっとも大事で大切な「道理」に反することをし続けるのだ?
「え?道理に反したことなんて私はしてませんよ。だって、法律に反したことなどやってませんし、警察沙汰などに遭ったことは一度もございません!ふん!なんと失礼な!!」。
おお、道理に沿った生き方をしている自信がそこまでおありだと。
ならばお主、なぜ、人間やっている?
道理に沿った生き方が出来ていれば、人間やっていないのが道理。
「知りませんよ、そんなこと。そんなマヤカシの話、聞いたこともないし、そんな宗教じみた話は一切ごめんなですわ!」…。
ああ、お主、それが知ったかぶりの証明ぞ。
残念ながら、そのような性根、半端人生では、今回も堂々巡りで終わるが、それで良いか?
「ああ、結構です!私は何も悪うございません。誰にも迷惑かけてないし、とやかく言われる筋合いはない!道理だか何だかは、私の生活には一切必要ありません!こうして食べるものも家も何でもあるし、生活に何も困っていませんから!私のことは放っておいてください」…。
仕方あるまい。
実相は、本人次第。
自主性に任せるのが道理。
己、このやり取り、どう感じたか?
人類は、こうして急速に人心荒廃をし続けている。
然し、道理は道理。
自然そのものであり真善美に満ち溢れている。
だが誰に媚びることなどなく厳格である。
人間、いつになったら光の元に戻れるのか。
そのことを肝に銘じ、自分自身が道理に沿った生き方が出来ているか、今一度、点検と確認を行い、間違っているならば、即修正を行い、性根を入れ替え生き直し、光りの元に還ります。
有難う御座います。