実相は、己の生き様を全て記録している。
人間、皆、死んだらあの世に逝く。
死んで終わりではない。
そこで「己、確信を持って、善に生きたか?」と問われる。
ほとんどの人間が、「はい。私は善きに生きました」と答える。
しかし、実相はそうはみない。己の生き様を全て記録している。
己が好もうが好まざろうが、完璧に隠していたと思っていることも全て。
善でない行為、不善、微悪、極悪の類まで、すべて証拠を見せられる。
「ああ、神様、どうかご勘弁を…私はそれでも一生懸命に生きてきたつもりです。多少の不備はあったにせよ、大方、悪いことはしていません。だからお許し下さい」
…とそこで懺悔をしたところで後の祭り。
事実に対する情状酌量は一切なし。
「そんな、脅かして…。たかがそんなことまで咎められたら、人間やっていけませんって。だって、みんなそれくらいのことは普通にしているし、法律で裁かれたりしません。今更、そんなこと言われてもねえ。もっと早く言って下さいよ!」…。
いくら縋ろうが、跪こうが、機械的に処理されていく。
これが実相の真実。
お主、それを今分かったならば、どう生きる?
これまで通りか、性根を入れ換えるのか。
それとも破れかぶれの人生か。
長く生かさせてもらってきているのだから、今世くらい、善にまともに生きたらどうか。
善行は当たり前だから、誰も褒めたり、見返りがあったりはしない。
何か一日一度、善行をしたからといって、大げさに世間に知らしめる必要はない。
人知れず、粛々と生涯、善で生きるのだ。
善行でない生き方は、不善。
白か黒か。
灰色はない。
従って、不善は悪の生き様となることを、そろそろ真剣に捉えよ。
「いや!そんな窮屈な人生、御免です!人間なんだから、たまには、やってしまうことも許して下さいよ。そうしないと、生きるのが苦しくなる…」…。
人間、意識が変われば良くなる。
顔の相も変わってくる。
お主の人生、本気で良きに生きよ。
それによって、最高の幸運と幸福が与えられる。
今世が最後の機会と思え。
然らば心して掛かれよ。
そのことを肝に銘じ、人生最大の魂の成長を遂げ、念願の人間卒業を果たします。
有難う御座います。