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「自分は間違っていない。そもそも、毎日が楽しいし、幸せに生きれている。それで良いではないか?まだ、これ以上、何を求めろというのか?」という
人間、自分の思い通りならず、何かが起こると、不平や不満、怒りを携える。更に云うと、そのことを“苦”と捉えてしまう。なぜか。人間、大方、その人生を遊びや楽を得、楽しいことを得るために在るものだと思っている。そのことが人間の幸福だとも言う。本当にそう思っているのか。だとしたら、人生思い通りに成就することは決してない。この世の人生、即ち“学びの場”。思い通りにならないのであれば、工夫が足りない、考え方がずれている、そもそも進むべき道が間違っていることに至り、修正し、苦労に堪え、成長することを求められている。この実相への認識の差が、人生成就への結果の差となって、死んだ後になってそのことを知り、愕然とする。ああ、あれだけ懇願してこの世に生を受けさせて頂いた身であったのに、自分は何をしてきたのか。後悔先に立たずして、この人生も無駄にしようとしている。「自分は間違っていない。そもそも、毎日が楽しいし、幸せに生きれている。それで良いではないか?まだ、これ以上、何を求めろというのか?」それも良かろう。物金の世界で豊かさを享受するため、毎日、齷齪忙しくし、それが充実した人生だと思い込み、いつの間にか、真理の一つも理解出来ずに、歳を取っていく。自分は何でも知っているし、経験をしてきていると、世間で大人面していたとしても、あの世に帰れば未熟なままの姿に恥ずかしめを受けるのみ。真理は、テクニックやハウツーではない。世の中に溢れかえるそれらの情報に翻弄され、出来たつもりになるのは、もうこれまでにした方がいい。自然を見て、何かを感じれるか。人工物と自然を比較して、その圧倒的な神秘深層の違いを理解出来るか。そのことを悟り極めることが本来あるべき人生の道であることを推して知るべし。そのことを肝に銘じ、生き直します。有難う御座います。
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