見出し画像

いまだからこそ読みたい、10人の僧侶と考える『不要不急』(No. 925)

考える人 メールマガジン
2021年8月19日号(No. 925)

話題作2冊試し読み!
萩尾望都『私の少女マンガ講義』
+10人の僧侶による『不要不急 苦境と向き合う仏教の智慧』

話題作を「考える人」で2冊試し読みできるようになりました。

◎萩尾望都 聞き手・構成 矢内裕子 『私の少女マンガ講義

デビューから50年余、今なお現役であり続ける作家が、日本独自の文化である少女マンガの「原点」と「未来」を語る『私の少女マンガ講義 』(新潮文庫)。本書は、イタリアでの講演やロングインタビューをもとに構成され、マンガ家自身が語る少女マンガ史から、自作の解説や創作作法までを語る貴重な一書です。その文庫化を記念して、「どんなふうにマンガを描いているのでしょうか?」という質問から導かれた、「少女マンガの神様」自らが語る創作の舞台裏を公開いたします。

「どんなふうにマンガを描いているのでしょうか?」――「私の創作作法」を語る。


◎横田南嶺ほか『不要不急 苦境と向き合う仏教の智慧 』試し読み

それでも、大切なものは何か――。10人の僧侶が未曾有の難題に挑む!

「不要不急の外出」「不要不急のイベント」など、コロナ禍で盛んに喧伝されるようになった「不要不急」の四文字。はたして、何が“要”で、何が“急”なのか? その意味が曖昧なまま言葉は独り歩きし、もはや我々の行動のみならず存在にまで深く突き刺さる状況になっています。はたして、人生において真に大切なものは何か――。この難題に10人の僧侶が挑んだ『不要不急 苦境と向き合う仏教の智慧 』(新潮新書)。その中から、臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師の論考「人生に夜があるように」を公開いたします。

ブレイディみかこ×ヤマザキマリ「パンク母ちゃん」

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の文庫版も好調のブレイディみかこさんと、ヤマザキマリさんとの対談「パンク母ちゃん」、noteで好評配信中!

「考える人」で冒頭の立ち読みができます。

1. パンクな母ちゃんとクレバーな息子たち


2. 詩人と本気で恋をした


3. 私たち一生「グリーン」

アクセスランキング


■第1位 村井理子「村井さんちの生活」
義父母、ショートステイに行ってみる


■第2位 吉川トリコ「おんなのじかん」
流産あるあるすごく言いたい


■第3位 ジェーン・スー「マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること」
10.生きるとか死ぬとかワクチンとか

最新記事一覧


■道草晴子「よりみち日記2」(8/6)
16. 居場所探しの日々

かつて自分の人生を歩み出すのを恐れていた道草さん。いざ一歩踏み出してみると、居場所がない……悩み多き日々が続きます。

■南直哉「お坊さんらしく、ない。」(8/10)
四、行き先の心配

恐山の住職代理・南さんと考える「死んだらどうなるのか」――。

■橋本陽介「ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く」(8/16)
第4回 ピンインは如何にしてできたか

漢字で表される中国語ですが、文字を見ただけでは発音がわかりません。そこで「ピンイン」の出番。ピンインはどのようにして生まれたのでしょうか?

■安田菜津紀の写真日記(8/17)
“最終”報告、という暴力

スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが、名古屋出入国在留管理局で亡くなった件について、先日
「最終報告書」が公表されましたが、それは遺族の求める「真相解明」とは程遠いものでした。

■早花まこ「私、元タカラジェンヌです。」(8/17、18)
第4回 鳳真由

宝塚歌劇団花組の男役として活躍し、現在は医療大学に通う大学生の鳳真由さんにインタビュー。いかにして「花男」になったのか、そして小さい頃から憧れていた「医療」の道を目指す今――。

(前篇) 宝塚から医療大学へ――どうやったら自分なりに理解できるか、いつも考えている

(後篇) 将来の夢はない、何者にもなれる未来を信じているから


「考える人」と私(25) 金寿煥

 創刊から6号目となる「考える人」2003年秋号は、読み返すのがつらい一冊です。
 特集は「異文化都市『京都』を楽しむ・考える」。京都を特集するにあたって私は、国際日本文化研究センターの井上章一さんに原稿を依頼しました。井上さんは生まれも育ちも京都、『美人論』など多くの著作で知られる建築史家・風俗史家で、現在は同センターの所長を務められています。
 かねてより「井上さんとお仕事をしたい」と願っていた私にとっては、またとない機会でした。前回のメルマガでも書いたように、私は2002年から書籍編集者と「考える人」編集部を兼任。前者の所属は「出版部学芸編集部」で、新潮選書や橋本治さんの『ひらがな日本美術史』シリーズ、梅原猛さんの『京都発見』シリーズなどを担当していました。いずれにせよ20代半ばの駆け出し、当時私の〝仕事〟は、とにかく学芸書の〝名作〟を読み漁ることでした。
 中でも井上さんの一連の著作――『つくられた桂離宮神話』『法隆寺の精神史』など――を愛読、「いつかこの人の本を作りたい」と、その機会をうかがっていた折の「京都特集」。このチャンスを逃してたまるものかと依頼をしたところ、ご快諾をいただき、念願の原稿をいただいたのでした。
 それが同特集所収の「洛外からの『ざまあみろ』」です。そのリードを引用しましょう。

 京都は京都でも、「京都」ではないところ――。
「よそさん」にはわからない洛中と洛外の「境界」。
 生まれも育ちも「京都」の評論家・井上章一氏が、積年の恨みを込めて、複雑にして韜晦な、洛中の「中華意識」を迎え撃つ。

「積年の恨みを込めて」だとか、「複雑にして韜晦」だとか、リードからして穏やかではありません。実際その内容は、府外の人間(「よそさん」)が考える浅はかな「京都」のイメージを戒めるもので、一口に「京都」と言っても、その地に生まれ育ったものにしか見えない「地域格差」があることを、ひらがなを多用したあの柔らかな文体で記しているのです。
 例えば「京都人からさげすまれていたのは、西の嵯峨野(引用者註・井上さんの出身地)だけにかぎらない。南の伏見や、今私が住んでいる宇治、そして東の山科も、同様のあつかいをうけている」というように。
 今読み返してみても、惚れ惚れするような井上節です。しかし冒頭で私は、この京都特集を「読み返すのがつらい」と書きました。なぜなのか――それについては、次週のコラムで記そうと思います。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■考える人
https://kangaeruhito.jp/

■note
https://note.com/kangaerus

■Twitter
https://twitter.com/KangaeruS

■Facebook
https://www.facebook.com/Kangaeruhito/


Copyright (c) 2020 SHINCHOSHA All Rights Reserved.
発行 (株)新潮社 〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
新潮社ホームページURL https://www.shinchosha.co.jp/

メールマガジンの登録・退会
https://www.shinchosha.co.jp/mailmag/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もしサポートしてくださったら、編集部のおやつ代として大切に使わせていただきます!