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#71 「三年とうげ」トルトリの助言は自分のためだったのでは?

前回#68で「三年とうげ」について考察をしました。


↑ ここで紹介したことを簡単にまとめると
「ぬるでの木のかげで歌を歌ったのは誰か?」という最後の問いに対して

子どもたちから「トルトリ」が歌ったのではないかという意見が出ました。


その理由として
・「おじいさんに提案した話」と、ぬるでの木のかげから聞こえてきた歌の「歌詞」がほぼ一致していることから、トルトリが歌を歌っていたのではないか

・また「おいらの言うとおりにすれば、病気はきっとよくなる」とおじいさんの行動をコントロールするような言動が見られることから、トルトリが歌っていたのではないか

また、トルトリには「おじいさんが元気でないと困る理由」が何かあったのではないか

といった面白い意見が子どもたちから出ました。



今回、その次にやった授業について紹介します。

まず、私は個人的にトルトリの「水車屋」という仕事が気になりました。

わざわざ「水車屋」と職業を紹介しているのも何か理由があるように思ってしまいます。

この仕事を、もう少し深く調べることで、トルトリの立ち位置や考え方が分かるのではないかと思い、クラス全員で「水車屋」について、パソコンを使って調べることにしました。

するとクラスの中の一人が「水車屋 トルトリ」で検索をしていたらしく、「トルトリの人物設定」をまとめたサイトを偶然見つけました。

そこには次のようなことが書かれていました。
「原作の絵本では、最後にトルトリが ぬるでの木のかげから歌っていることが書かれている」

子どもの予想通り、おじいさんが二度目にとうげで転がった時に聞こえていた歌の正体はトルトリで合っていたのです。

意外な形で、答えは解決されました。
つまりこの物語は全てトルトリの思惑通りに進んでいた話だったというわけです。

(このように国語でパソコンを使って答えを探すのは賛否あると思います。自分のクラスの場合は答え探しではなく、言葉の意味を調べたり、「自分の考え」をさらに広げるために使うようにしています。)

しかし、その歌の犯人(?)がトルトリだったとしても、まだ解決していないことがクラスの中で二つありました。

・トルトリはなぜ三年とうげの言い伝えを変えたかったのか?

・おじいさんとトルトリの関係は何なのか?(おじいさんが元気になるとトルトリが得をする利害関係が何かあるのか?)

ということです。

歌っているのはトルトリという謎は解けましたが、なぜ彼がこのような行動をしたかについてはまだ謎が残ったままでした。

そこで
何かヒントになるところはないか、また教科書を最初から読んでみんなで探すことにしました。

しばらくしてパソコンで「水車屋」について調べていた男の子があることを発見しました。
「昔は水車の回る力を使って、紡績機という機械で布を作っていたって書いている。」

「おじいさんは反物という着物の布を売る人でしょ。だからトルトリの水車を借りていたのかもしれない」
という予想をしました。

この意見を聞いてみんな納得したらしく
「ああ!なるほど」という声が上がりました。

そこから今まで考えてきたことが一つにつながる「三年とうげ」の真のストーリーが子どもたちとのやり取りのなかで見えてきたので紹介します。こう考えると全ての「つじつま」が合うかもしれません。(↓)

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昔、ある村に「ため息が出るほど自然ゆたかで美しいとうげ」がありました。
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その美しい景観を荒らされたくないと思った地元の人々は、「このとうげで転ぶと三年しか生きられない」という言い伝えを作りました。
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そのうわさが少しずつ広まり、いつしか人々はそのとうげをおそれて歩くようになりました。
(教科書にも「おそるおそる歩いた」という表現があります。)
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この言い伝えのおかげで、とうげへの人の行き来は少なくなり、その景観は美しいまま保たれましたが、誰もこの「三年とうげ」には近づかなくなりました。
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隣の村に商売をするためにも、このとうげを越えないといけませんが、みんな三年とうげの言い伝えを恐れ、しだいに物流は減少し、村はいつしかさびれていきました。
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そのため村の若者トルトリの水車でひいた米や麦なども、隣の村に売りに行くことはほとんどありませんでした。わざわざ命がけで三年とうげを越えて、この村に米や麦の粉を買いに来る人もほとんどいませんでした。
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トルトリはこの村の状況をよく思っていませんでした。「こんな言い伝え、ただの迷信なのではないか」と。
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しかしその村のおじいさんの作る反物は非常に美しく、隣の村でもよく売れました。そのためおじいさんは、反物を作っては、三年とうげを越えて隣の村に売りに行き、その売り上げは村の財源となっていました。
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しかし、ある日おじいさんが三年とうげで転んでしまい、村中の人々はこの村はこれからどうなるのかと不安になって見舞いに行きました。
(教科書でおじいさんが倒れた時に村の人々が心配する描写から、おじいさんが村にとっての高額納税者だったとも読み取れます。)
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反物を作る「紡績機」を動かすために、自分の水車をおじいさんに貸していたトルトリにとっても、おじいさんが病気になられては困ってしまいます。
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トルトリはこの状況を何とか打破しようと「あること」を思いつきました。
「『三年とうげで転べば転ぶほど寿命が延びる』という新しい解釈を話せばおじいさんは元気になるかもしれない」
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トルトリの予想は的中しました。
おじいさんは元気に長生きし、そのうわさを聞いた隣の村住人も三年とうげを越えてトルトリたちの住む村に行き来するようになりました。
景観も美しく、「長寿のとうげ」という噂も広まって三年とうげは瞬く間に有名な観光名所となりました。
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寂しかった村は活力を取り戻し、村の人々は幸せにくらしました。
このような「発想の転換」がいつの世も必要なのかもしれませんね。
(終)

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子どもたちと話しながら、確かにこのようなストーリーなら、教科書の書かれていることもつじつまが合うのかなと思いました。

国語の授業で
「もしかしたら○○だったんじゃないか」という話は、根拠がないとただの空想になってしまいますが、教科書に書かれていることを読み込み、違和感を調べ、根拠をもとに組み立てていくと、こういった新しい解釈を生み出すことができます。

このように「根拠にもとづいた新しい解釈」を発見できた時は、国語の授業をやっていて楽しい瞬間だなと感じます。

今回の授業の板書


この「三年とうげ」も久しぶりにやった教材でしたが、以前は気づかなかった新しい発見ができて面白かったです。

またどこかで、このように教材の「新しい解釈」を見つけた時は紹介していきたいと思います。

今年度は「ちいちゃんのかげおくり」「まいごのかぎ」でも、作品の新しい解釈を授業の中で見つけることがました。以前紹介した記事のリンクを貼ったのでまたお時間あれば読んでみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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