ボクを好きですか、それともお金を持っている僕が好きですか?
以下、あくまで仮の話(フィクション)です。
私は仕事を懸命にこなしています。その一方、自分の幸せのため人生の伴侶を求めています。
ある時いいなあと思う人が現れて、たまたま一緒に時間を過ごすことができました(話は合うし、性格もすばらしいし、実際私のタイプなのです)。
私は舞い上がり、その人を何度も食事に誘います。そして何度か会ううちに(すごくラッキーなことに)「相手も自分のことを好いてくれている」ことが分かります。
しかし就寝前、鏡に映った自分を見たときに「でも、あの人はホントに自分のことを好きなのだろうか?」という疑念がふと湧いてきました。ちなみに私は独身で、3億円の資産を保有し、年間2500万円くらいの手取り収入がある人です。
・・妄想。ここまで。・・
一定以上の資産を持つ人にとって、異性とお付き合いをしても、純粋に自分を好いてくれているのか、それが分からなくなるという類の悩みが存在します。「自分の稼ぎがよいから、資産を多く保有しているから、自分と付き合ってくれているのではないか?」と。
一旦ここにフックが掛かると、次のステップに進むのが難しくなってしまう・・。運用相談の余白の中で、このようなお悩みを伺ったことがあります。
もちろん、男女の関係において駆け引きや打算が存在するのは否定しません。実際、経済力があるか否かは、お付き合いをする上で重要な条件のひとつでしょう。
ただ、(わたしも男のひとりなので)単刀直入に述べますが、男の人はどちらかというと、お金(資産)を「派手な帽子」と見なしがちです。その帽子(お金)を被っている姿が、社会的に映っている自分だと自認してしまうわけです。
(実際は「1億円」とか「800万円」と記された帽子を被って通りを歩いているわけではありません)。
本人の中で、派手な帽子(お金)を被る = 自己実現できる、社会的認知が得られる、そして評判や評価を得られるといったセルフイメージを持ってしまうと、どうしても「自分」と「自身のお金」を並列に並べてしまいがちになります。
多く稼げている、たくさんお金がある、だからの「自分」となると、
あなたのお金(資産)
↓
あなたを形成
みたいな様相になってしまいます。
しかしお金(資産)は、あなたという人間に付随するひとつの特徴に過ぎません。
あなた
↓
お金(資産)を所有
に過ぎないのです。
冒頭の懸念は、(気持ちとして)分からないわけではありません。しかし、「素の自分ではなく、お金を持つ自分を好いているのでは?」という疑念はそのまま、「素の自分ではなく、お金を持つ自分に寄りかかっている」自身の姿を表していないでしょうか。
職業柄(ファイナンシャルプランナー)、ことお金に関しては、二種類のタイプの人がいると考えます。
1.お金を派手な帽子と捉える人
2.お金を地味な靴下と捉える人
まず1.からですが、保有する資産(数字)を気にするばかりの人。また、稼ぐお金の大きさ(数字)を自分のステータスに結び付ける人。
この、お金を立派な帽子に捉える気分が、各種コミュニケーションにおいて(もしかすると)応えてくれる人を限定させているのかもしれません。
文字通り「帽子」が前面に出て、「素の自分」が希薄になる状況を自ら作り出しているのです。
いっぽう、2.お金を「地味な靴下」と捉える人もいます。稼いでいる金額(数字)や保有する資産(数字)とよい意味で距離を置いているタイプです。
お金(数字)は自分の活動のひとつの結果、社会からのひとつの評価に過ぎないと(どこか)割り切っています。
この種の人は、たとえば服装や持ち物で、お金を保持していることを匂わせたりしません。しかし根底のところではお金をコントロールしているため、いざという時に、大胆にお金を用いたりすることも出来ます。
俗にお金持ちといいますが、文字通りただお金を「持っている」だけでは真のお金持ちではないのです。お金を生かせる度量を持つ人が、ほんとうのお金持ちではないでしょうか。
お金は(本当は)地味な靴下に過ぎず、あなたという存在を地面で支えているだけです。もちろん靴下は、ある程度分厚いほうが安心ですし温かいですが・・。でもそれ以上の存在ではないのです。