お金を主語にする私たち
お金は大事な道具の一つです。生まれてから死ぬまで付き合うことになります。私たちはお金との付き合いが濃いために、しばしばお金を「主語」にしがちです。
・お金「が」大事。
・お金「が」要る。
・お金「は」万能。
・お金「は」裏切らない。
どれも簡潔な言い方です。上記4つの例文はいずれも、お金「が」あれば大丈夫。という意思表明に聞こえます。
実際、お金があれば、さまざまなハード、―具体的なモノやサービスや経験―を買うことが出来ます。しかし、ソフトの部分、―暮らしの中身そのもの―をお金で賄えるわけではありません。
お金の威力が如実に発揮されるのが「家」でしょう。たとえば都心で2億円も出せば、立派なマンションを購入できます。しかし、それは箱(ハード)に過ぎません。
その箱の中で、あなたがどんな暮らしを実現するのか。毎日何をして過ごすのか。どれほど心地よく過ごせるのか。この、諸々のソフト部分が充実してはじめて、立派なハード(箱)が意味を成します。
仮に、です。ソファやベッドや、アンティークの燭台が似合うダイニングテーブルや、リビングの大きなローテーブルを、大金をはたいて買ったとしましょう。
沈む夕日をベランダから眺め、あなたの今日1日が終わろうとしています。その中身は充実していたでしょうか。豪奢なベッドに横になっても、気分がすぐれない、不安や心配が拭えない毎日なら、ぐっすり眠ることは出来ません。
ハード(ベッド)はお金で買えますが、ソフト(心地よい睡眠)はお金で購入できないのです。
同様に、高価なお酒や美味しい料理は買えますが、健康(体調)までは購入できません。世の中には、お金で買えるものと買えないものがあるわけです。
しかし、お金との関係を発展的に捉えるなら、次のような考え方をすることも可能です。
―優れたハードを購入することで、ソフト(暮らしの中身)を充実させる「きっかけ」としよう。―
そうすれば、
・お金「は」機会を生みます。
上述の「家」に戻ってみましょう。
・都心で2億円のマンション
・高槻市で5000万円のマンション
・岐阜市で月11万円の賃貸マンション
人はどんな箱(ハード)に住まうかで、毎月の出費の中身(ソフト)がおおむね決まってきます。
つまり、
・お金「は」人を試している。わけです。
お金自体が「主語」になるのは全く問題ありません。
ただし、
・お金「が」大事。
・お金「は」万能。と綴るのではなく、
・お金「は」機会を生む。
・お金「は」人を試す。
というふうに、そこにあなた(人)が介在することが重要なのです。「材料」であるお金を、あなたの暮らし、あなたの生き方に合わせて使い倒すことが出来れば、
そのとき、
・お金「は」自由をもたらす。ことでしょう。