20年の歳月は国も個人も豊かにします
わたしの母は1946年生まれ、わたしは1968年の生まれです。
わたしと母は22歳しか年が離れていません。たった22年しか違わないのに、わたしと母親はあまりにも境遇が違っています。
わたしが生まれた年(1968年)、日本は西ドイツを抜いてGNPで世界第2位に躍り出ました。まさに、高度経済成長の只中にありました。
母が生まれたのは終戦直後です。外国籍で、早くに父親を亡くしており、祖母が女手ひとつで家族を養うことは当時、想像を絶するほど困難であったはずです。
考えてみれば、わたしと母では全ての前提が異なります。
・毎日寝起きする部屋の広さ
・毎日食べる食事の中身
・友だちと遊べる時間の長さ
・自分の将来に対する期待値
母がミシン工として働いていた当時(10代)、月給は1万円に満たなかったといいます。いっぽうわたしは20代でふつうに月20万円近く稼ぐことが出来ました。
わたしと母でこれほど給料が違っていた原因は実にシンプル。日本という国の稀有な経済発展のお陰だったのです。
ひとつの国がその富を増大させるとき、20年という月日は必要十分な長さでしょう。
(その国が)人口が増えるステージにあり、その国が得意な産業分野と、世の中のニーズがシンクロしている。平和のための維持コストが低く、政治的に安定し、国民が勤勉であれば、成長は(一国の中で)同時多発的に起こります。
豊かさの波は扇型に(かつ加速度的に)広がり、ふつうの庶民の素手にまで「それ」を感じられるようになるのです。
上記は単に貯蓄額が増えるということではありません。将来に対する楽観度合いが高まるという現象です(これによって、財布の中身が増えるだけでなく、財布のひもが緩くなっていくのです)。
日本は(戦後)たった20数年で、ふつうの庶民が貯蓄し、そこそこ「お金持ち」といわれる人が増えたのでした。
わたしの母親は(少なくとも前半生では)生きていくのが精一杯で、自分のお金を増やすなんて余裕がありませんでした。しかしわたしは有難いことに、人生の途中から、自分のお金を貯める・増やすを考える余裕が生まれました。
20年と云えば7300日あまりの月日です。
この歳月で思い出すのは「インド」です。
わたしは1992年にインドを旅しました(4ヵ月にわたって北インドを回りました)。
都会の大通りで、公園の片隅で、地べたに寝ていた、たくさんの人たちを思い出します。どの町に行っても「牛」が我がもの顔で歩き、砂ぼこりが舞っていました。
すべての人が民族衣装を着ており、リキシャや荷車やバイクの音が、大きな声で交渉する商人の声に交じってカオスを演出していました。
そんなインドを、わたしは2011年再訪します。
新興の住宅地サウスデリーにやってくると、メルセデスやBMWがふつうに走っていました(牛はいません)。わたしはマクドナルドに入りチキンバーガーを食しました。※インドでは宗教的理由でビーフバーガーはありません。
すると、お揃いのジーンズを着たカップルが手を繋いで店に入ってきました。―二人はじゃれあいながら今にもキスをしそうな雰囲気です。―
たった20年前、公衆の場で手を繋ぐことさえ憚られていたインドは(もう)そこにはありませんでした。
インド人の月給は今、毎年増えていることでしょう。それだけではありません。将来に対する楽観度が増して、文字通り財布のひもが緩んでいるのです。
コツコツ貯めたお金でクルマを買う。ローンを組んで家を買う。クレジットカードを持つ。投資信託を買う。生まれてはじめて海外旅行に出かける・・。
自分の行動範囲が一挙に広がる爽快感を、多くのインド人が今現在、味わっているはずです。たった20年で国も個人も驚くほど豊かになるのです。
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