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始まりの日【味覚過敏・触覚過敏】

私は食べられないものが多い。
肉、きのこ、タコ、イカ、貝…
しかし、どれも食材ではなく、食感が苦手。

唐揚げはダメでも、麻婆豆腐は食べられる。
きのこの出汁なら飲める。たこせんべい、裂きイカなら食べられる…

小さい頃は「変なの」「わがまま」と言われていたけれど、それが感覚過敏の中の触覚過敏の症状だとある時気づいた。

母に何度か聞いたことがある。
私はいつからこうなのか。
「分からない」
「物心つき始めた頃じゃないかな?」
「どうしても食べないから、食べさせるのはすぐ諦めて、いつの間にか今のスタイルになったよ」

我が家の食事スタイル

幸いにも私には兄と弟がいた。
家で作る料理は、男の人達が大皿から肉類を先に多めに自分のさらに取り、その後私が取った。
私は肉を食べない代わりに
豆腐、卵、納豆
のどれかを追加していた。

細かい物でも受け付けられないため、
チャーハンのベーコン、肉まんは(挽き肉なら食べられるので)きのこを箸で自分で避けて、皿の隅や裏紙の上に山積みにしていた。
山積みにして置いておくと、いつの間にか誰かか食べてくれていた。

…そんな食事を物心付いた時からしていた。

決定的な証拠

ある日私は証拠を見つける。
幼稚園の連絡帳だった。
パラパラめくっていると、
「今まで食べていたナゲットやソーセージなどを、硬い、変な味がする、などと言って食べません。なので今日はおかずに入れませんでした。」
と書いていました。
年長の10月だった。
母が毎日お弁当を作ってくれていて、私の声を受け止めてすぐ応じてくれてた様子が見て取れて嬉しかった。

すぐに母に報告し、
「年長の10月からだったみたい、なんでだろう?」と聞くと。
「その頃よ、大人の歯が生え始めたの」

私は触覚過敏で食べられない食感がある。
正しくは「歯に当てられない食感」がある。
これだ、と思った。
母は母子手帳も見ずにさらっと確信を突いていて、この人に育てられたんだな、と改めて嬉しくなった。


私の食べられないの始まりは、乳歯から永久歯に生え代わったタイミング。
もしかしたら、そう言う人やお子さんも多いのかな、と思い、ここに残す。

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