中2。「食べられない」の受容【感覚過敏】
中学生の頃は、まだ触覚過敏(味覚過敏)という言葉を知らなかったので、食感が苦手で食べられないものが多い、傍からみたらただの「わがままな子」だった。
幸いにも給食に関して口出ししてくる子や先生はいなかったし、もともと少食だったので、配膳された物の中で食べられるものだけ食べればちょうどいい、と思って過ごしていた。
(今思えば同年代より当たり前に摂取カロリー少ないし、それが平気なくらい代謝もかなり悪かった)
そういえば一度だけ中1の時、給食ではない場面でクラスの女の子たちと話していて、何かの流れで、「Rinは細い(軽い)よねさすが拒食症なだけある」みたいな事を言われた事があった。
当時の私は拒食症がどういうものか知っていたので、「いや、違うんだけど……」と思った。
本題の、「食べられない」の受容。
中2の時だった。
給食がいつものように流れ作業で配膳されている時、お皿に乗せるおかずが「鶏肉のレモン揚げ」か何か、肉の塊の類の物だった。
どうせ食べられないのにお皿に乗せておくのは勿体ないし、おかわりじゃんけんが盛んなクラスだったのもあって、
「それ乗せなくていいよ」
と、給食当番の男の子に声をかけた。
男の子は
「え、どうして?ボディーキープ?」
って聞き返してきた。
「ううん、苦手なだけ……」
私が答えると、
「そうなんだ」
とサラダだけ乗ったお皿を私の持っているお盆へ乗せてくれた。
食べない、食べれないことをさらっと受け流してくれたのが嬉しかった。
おかずが配膳される前のタイミングでお皿を受け取った日はこれ以前にもあったかもしれない。
でもこのやり取りで心が軽くなった。
ある時はおかわりじゃんけんの時に、
男の子が教室を見回して
「あれ?今日休み2人だよね?(バットに)3個あるよ」
違う子「Rinさん食べないんだって!」
「うぉ!まじで!確率上がるじゃん!」
みたいなやり取りをしてた。
結果的に私が食べられないことを、クラスの食べ盛りな男の子の多くが把握してくれた。
今までは食べられない、残してしまう罪悪感があったけれど、こんなに喜んで、美味しそうに食べてくれる人たちが近くにいる。
残すのは良くないけれど、
私は食べることができないから、
美味しく食べてくれる人に食べてほしい。
と言う考え方がここで生まれた。
それからは男の子たちが良く声をかけてくれた。
「Rinさん!今日の〇〇食べる?食べないなら、ちょうだい!!」
「あ!明日の給食〇〇だ!Rinさん食べる?」
「食べないけど、△にあげる約束しちゃった!」
「次食べないものあった時は俺にちょうだい!」
「今日の〇〇は食べれる?」
「〇〇は食べれる!」
「わかった!」
単にじゃんけんをせずともおかわりが手に入るので都合が良いだけだったんだろうけど、
私の「食べられない」「食べられる」を尊重して声をかけてくれるのが本当に有り難かったから、とても嬉しかった。
代わりに食べてくれる人がいるなら残してもいい、
と肯定するのは違うけれど、
一風変わっている私の食でも周りの人と繋がっていられた有り難い時間だった。
あの頃声かけてくれたみんな、みんなはおかわり貰えてラッキーくらいにしか思っていなかったと思うけど、私は今でも本当に本当に感謝してる。