小1。給食のことで泣いた【感覚過敏】
「〇〇が終わったら△△していいよ。」
と言う家庭教育で育った私。
大人になるにつれ、
〇〇がまだ終わってないから△△はできないな。
と、自分へのご褒美や楽しみを自分で先延ばしするタイプに育ったものの、
自律した生活を送るのに大変役立ったと感じている。
食事に関しては、
「全部食べたら、デザート(フルーツ)を食べていいよ。」
のルールで育った。
食べられないものに関しては、どうしようと食べられなかったので、母の作るご飯、いつも私のお皿には私が食べられるものだけが乗っていた。
幼稚園のお弁当にも、食べられるものだけを入れてくれていたので、
「全部食べる」ができていた。
だから、いつも食べることへ前向きでいられた。
食育として大成功だったと思う。
小学生になって始まった給食。
給食も普段は配られたものの中から食べられるものだけを食べていたけれど、その日は違った。
初めて、「デザート」に分類されるであろう、フルーツポンチが出たのだ。
例に倣って、
「全部食べたら、デザートを食べていい」
のルールで食べ始めた私。
今までとは状況が違った。
全部食べようにも、食べられないものがある。
全部食べられないから、デザートが食べられない。
目の前にあるのに、フルーツポンチが食べられない。
家に帰って母に話した。
「全部食べられなかったから、フルーツポンチが食べられなかった」
母は言った。
「給食は、食べたいものを食べたらいいの」「先生はフルーツポンチを食べたらダメなんて、言ってなかったでしょ」
今まで母は
「全部食べたら、デザートを食べていい」
って言っていたのに、話が違う。
「フルーツポンチ、食べてもいいなら食べたかった」
私は泣いた。
母は、このことを連絡帳に書いてくれた。
担任の先生は、自分で考えて食べたいものを食べて大丈夫と返事をくれた。
言葉を言葉の通りに受け取り、拠り所にするタイプだった私。
大学生の頃まで
冗談だと気づかずに素敵な提案だと思い賛同してたし、
その場限りの口約束とも知らずにその約束が実現するのを楽しみにしていた。
母の
「全部食べたら、デザートを食べていい」
は私の食生活の柱だった。
それを、
担任の先生の
「自分で考えて食べたいものを食べていい」
に小1のうちに塗り替えてもらえたのはとても大きな出来事だった。
給食を食べ終わらないから1人休み時間まで食べさせる。
給食を食べ終わらないのを、みんなで待たれて自分のせいでクラスみんなの休み時間が短くなる。
なんて話を後々聞くことがあったから、
中学卒業まで、そんな場面には出会わず、給食にも前向きでいられて本当に良かったと思う。
残す罪悪感はどうしようもなかったけれど、
幸いには周りには私の食べられない分を食べてくれる人が多く、
「作ってくれた人がいる事を忘れない」
「私にはできないからこそ、美味しく食べてくれる人が食べるべき」
「食べられない事は変わらないけど、その分の栄養を摂ること、その摂り方を知ることが大事」
と思えるようになった。
もしも給食が苦痛な時間になったなら、それだけで学校へ行くことが億劫になるかもしれない。
生きるために食べることは不可欠。
食べることに前向きでいられるために、幼少期の食事環境はとてもとても大事だなと思う。