「母親殺し」という儀式が必要な理由を解説
今回は「母親殺し」という過激ワードを使って自立する事の
重要性を説明していきたいと思います。
先ず題名を見て「母親を殺したらまずいだろう?」と思われた
かもしれないが実際に殺すわけではないので安心して欲しい。
まず結論として
「母殺し」は「自立した人間」に至るプロセスとして
避けられない課題といいたいのである。
今回は、それぞれの用語の説明を行った上で
「母殺し」が何故「自立」に必要なのかについてお話させて頂きます。
①「母なるもの」の性質とは何なのか??
ユング心理学における、「母なる存在」とは
「産み・育てる事」を意味します。
一方ネガティブな側面では、「呑み込み殺す」を意味します。
過保護な母親を例にして考えてみて欲しい。
母親の大きすぎる愛によって
子供を呑みこみ主体性が損なわれる事が
多々あるのではないでしょうか?
子供は拒否の宣言が行えないが
辛く苦しい表情を呈している。
しかし母親は、良きことだと思い強く抱擁(ほうよう)
し抱きしめて呑み込み、
結果子供が「殺される(圧殺)」されるわけだ。
(もちろん心理的に)
大原敬子先生の例が分かりやすかったので紹介する。
金魚のいる金魚鉢の中に水を投入する場面を想像して欲しい。
その際に、熱いお湯を知らず知らず投入していた場合
どうだろうか?金魚は勿論言葉で訴える事が出来ないため、
もがきながら訴えるわけだ。一方で水を投入した本人は
良き事であると思いどんどん熱いお湯を投入する。
結果的に金魚は息絶えその時に初めて、自分の過ちに気付くケース
が現実世界だと家庭内暴力だったり引きこもりという現象なのである。
つまり、「母なるもの」とは世間的にはポジティブな側面があるが
一方で自立性を損なう「束縛」としての意味内包するのでは
ないかと考えます。
②「殺す」とは何なのか?
もちろん「殺す事」は現実世界では良くないし
物騒なイメージがあるであろう。
しかし、「殺す」という言葉は象徴的(感覚的な言葉)
に非常に広い意味を持っています。
日常的に言っても「息を殺す」「味を殺す」などの表現があります。
広辞苑では、
①生命を絶つ
②押さえつけて勢いをそぐ
③勝負事で相手の攻撃力を押さえ込む
④相手を悩殺する
等の意味が込められています。
以上の事から象徴的に使用した場合の「殺す」とは
幅広い意味で捉える事が出来るでしょう。
例を挙げてみよう。
中学生の子供が「野球部に入りたい」と思った時
父親が「野球がやってもいいが
野球部に入ってはならない。何故なら勉強が出来ないから」と
言った時、それは子供の強い希望を打ち砕く事になる。
これを象徴的な表現をすると「魂を殺す事」なのである。
もう一つグリム童話から例を挙げよう。
「ヘンゼルとグレーテル」の物語をご存じだろうか。
子供をお菓子の家でおびき寄せ食べてしまう魔女を
グレーテルが最終的に殺してしまうのだ。
実社会の親子関係の在り方と照らし合わせると非常に
興味深いものがある。
グリム童話から考えると、「母と娘の殺し合い」も
実はそれほど否定的な意味ばかりを
もっているのではないかと考えられます。
何故なら、成長し自立するプロセスとしての「母殺し」を
童話や昔話は象徴的に物語っているのである。
③自立した人間とは何なのか。
自立とは「一人立ち」することである。
もっと具体的に述べると以下の様になる。
「過去のつまずきにとらわれることなく、はかり知れない
結果を思い煩うことなく、自らを人生の主人公として
納得できる自分の生き方を工夫できる人間」
つまり、「良き人生のために考えられる人間」とも言いえるでしょう。
ここでさらに疑問が湧いてきます。
「良き人生」「納得できる自分」とは何なのかである。
この事について話しだすとかなり長い文面となるので割愛するが
端的に言うと自分なりの「自己哲学」「価値観」「大切な考え方」
が定まっていないと人生の主人公として生きづらいという事である。
つまり自立できない、良き人生が歩めないという事である。
話しを元に戻す。
では「母殺しが」ライフイベントに何故必要なのか。
主に3つの理由があり一つずつ述べていく。
④何故母殺しが必要なのか
(1)孤独によって自立の意識が芽生えるから。
そもそも人生とは愛の対象からの分離の連続である。
常に寂しさが付きまとうものである。
しかし、かんがえてみればこの寂しさがあるが故に、人恋しさ
も起こるし、人と相和して生きる有難さもわかるわけである。
いつまでも母指一体感・親子一体感が続くと、ある日突然分離せざるを
得なくなった時にパニックに陥る。
そこで普段から、人なかにまじり、人に和している時でも
自分一人の自分を意識する必要があるわけだ。
「孤独」と「孤立」は別物であり、
孤立は人から拒否されている感じがするが
孤独にはそれがないのが特徴である。
國分康孝著,自立の心理学より引用
(2)拒否が生き方の宣言になるから
「殺し」とは「勢いをそぐ」ことであり
つまり「拒否」する事である。
「拒否」とは生き方の宣言なのである。
これは過去の私の記事を参照して欲しい。
https://note.com/kanegonhawai/n/n28c99c66f7ba
ここぞという時に拒否機能がない人は自立ができていない人間だと思う。
中高生の親への第二次反抗期は、親に対する拒否を行う事でこれまで
服従的だった自分から本心を探そうとするプロセスだと
考えると分かりやすいでしょう。
(3)親との適切な距離をとるため
問題のある親の場合、子供を通してしか自己存在を確認できない
依存関係に陥っているケースもあります。
例えば、「惨めさ」を子供に訴えて自分の近くに置いておきたくなる
親の存在がそうでしょう。
ここで一つ皆さんに問うてみたい。
「自立とは親を捨てる行為なのか?」という事である。
この疑問に、明確に答えを言い当てた先生がやはり
大原敬子先生であった。言葉を一部変更して紹介する。
<娘の結婚に強く反対する親に対して述べた言葉である。>
「自立はあなた(親)を捨てる事ではない。もっと大きな愛をもって
いつかは両親を包み込みたいという思いが無意識に内在するからこそ
娘が命をかけてあなたの元から離れようとしているのだ。」
私としては親と子はそもそも別々の人間であり考え方も違うのである。
よって、「生き方・在り方」も当然違ってくるわけである。
そこを、混同するとややこしくなってしまうのである。
結論として、適切な距離感とは何なのか?
親と子が互いに一人の自立した人間として認め合う距離感だと私は思う。
つまり互いに尊重できる存在である。
これこそが「適切な距離」でありそこに至るプロセスが
「母親殺し」なのであろう。
⑤カウンセリング&コーチングはどの様にして
自立へ導くのか?
ここまで読んで頂いて本当にありがとうございました。
親子関係に問題がある方々は本当に多いと思う今日この頃である。
その様な相談を受けるたびに、「母殺し」や「自立」という
言葉が去来(行ったり来たりする事)するのだ。
私のカウンセリング&コーチングでは
自分が人生の主人公として生きるための
自己哲学を定める事や、過去と向き合う事なども
ワークで取組んで頂きます。
「本質的な問題と向き合う」事で「人としての弱さ」
に気づき「意識の変化」が生じます。
それらが、「心理的な母親殺し」に必要な根幹となり
自立に至るきっかけなるのである。
生半可な気持ちでは大変かもしれないが、自分と向き合う
とはそれなりに覚悟が必要なのである。
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ご拝読ありがとうございました。
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