うつの人に「頑張れ」と言ってはいけない理由を解説
今日は「頑張れ」という言葉についてお話させて頂きます。
まず学生時代の時の事お話させて欲しい。
私がマラソンの運営スタッフとして後輩たちの誘導を行っている最中
知っている後輩がランナーとしてやってきた。
彼はかなり息切れして苦しい様子であった。
基本的にランナーに対しては応援の声掛けを行うのが暗黙のルールである。よって私はその後輩に「頑張れ~」と応援したのであった。
翌日にそのランナーの後輩と出会った時に言われた言葉がある。
「金坂さん・・僕マラソン頑張ってましたよ。。何で頑張っているのにそんな風に頑張れっていうんですか!(笑)ひどくないですか?(笑)」
もちろん、私に対する「いじり」であり
「頑張っている様に見えなかった!(笑)」と私も返すのである。
笑い話で終わった内容であるが一方で「頑張っている人に頑張れと言えば気分を悪くするケースもあるのかもしれない・・」という思いも湧いてきたのである。
さて、私たちは努力している人や力添えしたい人に対して「頑張れ」という言葉かけを行います。
日常生活で頻繁に用いられるワードそれが「頑張れ」である。
世間ではこの「頑張れ」という言葉は「うつ病の人」にはあまり用いない方が良いというのだ。
これは何故なのか?
うつ病は「人に言われなくても頑張ってしまう人」いわゆる「真面目」な人に多い病気である。
「頑張れ!!」という言葉に対して、真面目だからこそ
「今は休ませて・・」とは中々答えられないのである。
顔を引きつかせながら「よし、わかった」「うん!頑張る」としか答えられないのである。結果的に心が壊れるまでさらに頑張ってしまうのである。
世の中には
1:頑張ったら何とかなる事
2:頑張ったら何とかなるか、ならないか分からないもの
3:頑張っても何ともならない事
の3点があります。
これらを難しいながらも可能な限り考察して「頑張れ」という言葉を選んだ方が良いであろう。
例えば「がん患者」に「頑張れ」という言葉をかけたとして
その患者は「一体何を頑張ればいいの?」となるわけだ。
また、目標達成が絶対不可能な行動に対して「頑張れ」と言っても
理想と現実の間に葛藤が生じストレスが生じてしまうのである。
「良くなる可能性がゼロ」の事柄に対し、努力を積み重ねる。
追い打ちをかけるように「頑張れ」という言葉が浴びせられる。
でも上手くいかない・・結果、心が壊れるのである。
ではここで疑問が生じる。
「金坂さん・・頑張っても何ともならない人に対して、
どの様に声を変ければいいんですか?」である。
一つの方法として「頑張れ!!」を具体化してもいいかもしれない。
では何を頑張れば良いのか・・?
「少しでも体がよくなるといいですね。」これはやや抽象的である。
以下がさらに「頑張れ」を具体化した文章である。
例①
「半身浴をやってみてはいかがでしょう。
体のリラックス効果が得られて気分が変わると思います」
例②
「長く息を吐くことを続けてみたら悩みとかどうでもよくなるらしいよ?
もしかしたら、悟る事ができるかも・・一緒にやってみない?」
つまり「半身浴をする」「長く呼吸をする」「リラックス効果」
「悟る事」等の「目標」が発生する言葉かけが大事だと思う。
目標があるからこそ人は頑張れるのである。
逆に目標がないと人は頑張れないのである。
ここまで読んで頂いた読者はおそらく以下の様に
思う人がいるかもしれない。
『「頑張れ」という言葉は実は罪深い言葉なんだな・・
かなり使っていたし知らない所で傷つけていたかも・・』
実は、私も普段何気なく使っていたのである。
よってこれから変えていけば良いのである。
「頑張っても何ともならない」かどうかの背景がまずは
考察できればまずは大丈夫であろう。
それよりも別の問題提起もしたい。
そもそも、今まで述べてきた「頑張れ」という言葉は本当に
悪い言葉であるのであろうか。
実は世の中は広いのである。
癌を宣告され余命幾ばくもない人物でも
癌そのものを自分の美学として取り入れ
「喜び」として意味付けする人間もいるのである。
その中の一人である山下弘子さんの書籍
「人生の目覚まし時計が鳴った時」の文章を紹介したい。
※山下弘子さんは私の人生観や死生観を変えてくれた人の一人。
~「頑張れ」はうれしい言葉~
「がんばれ」という言葉を人にかけるには賛否両論あるということを最近 になって知り驚きました。「ただでさえがんばっている人に、これ以上がんばれと言うのは酷ではないか」「 がんばれなんて失礼だ」というのが
おおかたの否定的な意見のようです。
そのことを知ったとき「ずいぶん、相手の気持ちを深読みするんだなぁ」と思いました。わたしは、初めて会った人から「がんばってください」とか
「病気に負けないでがんばってね」と言われます。
言われたときになんとなく感じるのは「がんばれ」以上に本当は、
わたしにもっといろいろな思いや伝えたいことがあるのではないかという こと。 「話を聞いて元気になりました」とか「死なないでほしい」とか「 会えてよかったありがとう」とか、その人なりに思うことはさまざまだけれど、うまい言葉が見つからなくて「がんばれ」 というシンプルな言葉にその思いを乗せてくれているのかなと感じています。
~中略~
「こういうときは『がんばれ』と言わず『○○○○』と言い換えましょう」というアドバイスもあるようですが、わたしは考えすぎだと思っています。言葉尻をとらえてああだこうだと言うよりも、伝えようとしている気持ちを汲み取りたいと思うのです。
ですが、なかにはそうでない人もいるし、実際「 がんばれ」と言われて傷ついている人も見ているので、わたしは「がんばれ」の代わりに「 わたしもがんばるので、一緒にがんばりましょう」と言うようにしています。
人によって言葉の意味の解釈は様々である。
「頑張れ」という言葉に対して山下さんの様な「気持ちを汲み取る」ような解釈もありである。
「頑張れ」という言葉を「暴力的な言葉」「駆り立てるメッセージ」として受け取る解釈もありである。
どちらの選択が自分の人生を「良き人生」にたらしめるのか考えてもいいのかもしれない。
「良き人生」を生きる人の特徴は、自分が人生の主人公として
生き方を工夫できる人間である。
※なお「(私のために)頑張れ」という人物には注意しましょう。
ご拝読ありがとうございました!!!