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善意で舗装されている社会

以前とても影響を受けた本「リーダーシップの旅」の著者である野田智義氏と、以前よりファンでもある社会学者の宮台真司氏の共著であり、MBAの講義の記録でもある
「経営リーダーのための社会システム論」
と出会い、一気に読んでしまいました。


現代の構造的貧困があることを前提に、その説明の理路は整然とわかりやすいもので、僕にも理解できました。そして、この構造的な系には、「悪者役」がいないことで、それに立ち向かうヒーロー像やその解決策がはっきりとしない、とのこと。

さらには、「安全、便利、快適」というマズローの欲求5段階説の基本的な欲求が満たされた社会の中で、国民国家として個人として分断され、人間的なコミュニティが崩れ「社会の底が抜けた状態」というのは、僕たち自身の一つひとつの行動と選択で構成されている、と。


「地獄への道は善意で舗装されている」
とは、ヨーロッパの格言みたいなもので、この引用を用いて、今僕たちは、その舗装された道を知らずに無意識に歩いているようなものなのだ、と。


そして、これに気が付き、何かおかしいと感じた後、僕たちはどのようにして生きるのか、またそれに立ち向かっていくのか、そんな問題提起が全体の議論の根底にある内容でした。

 

MBAの授業で、このような一般教養的なものがメインにもなりえる現代は、僕らひとり一人が考えて、行動して、試行錯誤して、トライ&エラーの繰り返しをそれぞれが自らの内発的動機づけによって、動いていかなければ、あるいはこのまま「地獄への道」は線形的に続いてしまう、ということなのかもしれません。

 

明確にはわかりませんが、この個人が考えて(感じて)、自らを信じて動いていくことが、社会変革の入口の一つになりえるのだと信じて今を生きています。

今の僕は、みんなと違う時間を過ごし、せっせと何かをしていないと落ち着かない思いを物凄くあります。不安でもあります。何か世間的な価値観からずれて、世間話についていけない孤独感もあります。

それでも、今は自分ができることから一つひとつ丁寧に、内面から整えていくことが、遠回りのようで、多分王道の近道なのだと思っています。 

 

Festina lente(ラテン語:フェスティナ・レンテ、ゆっくり急げ)とは、古くから南ヨーロッパでよく言われることですが、

多分そんな道なんだと思っています。

以上です。

 


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