岩手旅行記(3日目)
今日は午後から雨という、天気予報の元で
盛岡市内をひとりで、ゆっくり回ることになりました。
地元の人が、1時間半あればすべて回れるよ!というぐらい、コンパクトにまとまった地域のようです。
まずはホテルから近い盛岡城跡の岩手公園を目指して、入り口の桜山神社へ。
桜の花が、あの強風にも耐えて、まだまだ見ごろでした!
入り口が工事中だったので
急遽、お隣にある「もりおか歴史文化館」に行きました。
おっと、その前に、腹ごしらえに・・
白龍(ぱいろん)の、じゃじゃ麵をいただきました!
(写真撮るの忘れたので、お借りしましたw)
そして次に「もりおか歴史文化館」。
そこで感じたことは、ニューヨークタイムズ紙の記者が、盛岡を推薦した理由のひとつではないかと思った箇所があったのです。
「誰と話してもみな親切で、よそから来た人を受入れる雰囲気に溢れている。」(クレイグ・モドさんのニュースレターから)
「まんず、まんず、とおいどこ、よぐ、おでったなっす。」(歴史文化館の展示から)
海路が中心だった時代に、北上川舟運の起点であった盛岡は、遠いところから来た人などに対して、「よくぞこんな遠くまで来られましたね~」というのが、基本的な挨拶だったようです。
今回訪れても普通にお会いする方々が、皆さん全員、心の奥底から「よく、こんなところまで」とおっしゃってたんですね。まぁ~陸奥ですからねぇ。
それが、ごく普通の「おもてなし」の心になって、モドさんもそれを感じたのかも?なんて思ったりしました。
次に向かったのが、岩手銀行赤レンガ館。
東京駅を設計された辰野氏が、明治44年(1911)に設計し建てたものだそうです。
こういうのも盛岡市内にあったんですね、知りませんでした!
レンガ好き、建物好きにはたまりません♡
しかしあの戦中、日本本土空襲の時にも、よく守られたなぁ・・・
それからは、ニューヨークタイムズ紙にも載った本屋さん「BOOKNERD」に向かいました。
その途中が、また面白くて~♪
川沿いを歩いた時、こんな感じでした。
ここは「番屋」といって、大正2年(1913)に盛岡市消防団分団として建てられたそうです。かわいい建物ですよね。
こちらは、昭和2年(1927)に地元出身の葛西氏によって設計され、建てられた盛岡信用金庫本店。
現在でも使われているというから、すごい!
本当に、よく守られてきましたよね・・・
そして目的地の本屋さんでは、小さなスペースに若い店長さんの志向らしき本が、普通に並んでいました。
店内にはゆったりとジャズが流れていて、私の好みっぽい本がたくさん♪
少し店長さんとお話しさせていただいて、この本を買ってまいりました。
それからは、盛岡城跡公園へ。
まずは入り口にあった、ガス燈に目がいきました!
ガス燈の創始者が、なんと南部藩士だったとは・・・
この看板、ちょっと古くなったので、少し濃く書いていただいて
もうちょっと、わかりやすい場所に出したらいいかもね?!
また入り口に、こんなものもありました。
台湾の花蓮市と友好都市だったんですね、盛岡市は♪
今回盛岡の街を歩きながら、実は少し台湾を感じたんですよね。
古い建物が普通にたくさんあって、今でも使われていて
台北の街全体が美術館のようだったのですが、盛岡もそうですもんね。
だから台北よりは、もっと自然の多い花蓮市と姉妹都市だということが、なぜかしっくりきてしまいました。
また途中でね、地元の食産物を扱ってるお店に入ったのですが、そこで見つけた細切ではない「輪切りの切り干し大根」と揚げを買ったんですけどね。
家に帰ってきてから、もどし汁と白だしだけで煮たのですが、この触感にハマってしまい・・こんなにおいしい切り干し大根は、初めてでした~~!!
それから、やっぱり岩手山全貌を拝みたくて・・・
盛岡城跡公園の高台へ。
曇っていましたが、なんとなく味わえたし、お花見の方々もたくさんいらっしゃいました。
それからは、ニューヨークタイムズ紙にも載ったジャズ喫茶「開運橋のジョニー」に向かいました。
しかし行くと、ドアが閉まってるし?!
よく見ると営業時間は、火曜日と水曜日の11:00~23:00でしたw。
というか、この時間感覚が、たまんないんですよねぇ~~♡
次は、宮沢賢治先生が生前唯一出版された「注文の多い料理店」を扱った、光原社へ。
そこに行くとき、この北上川を眺めながら行きました。
水が豊かで、ゆったりしてるでしょっ♪
当時は本も売れなかったので、会社としては厳しく、倒産しちゃったそうです。今は出版社ではなく、いろいろな雑貨など、魅力的なものを扱ってらっしゃいました。
ジャズ喫茶ジョニーさんのところへは行けなかったので
こちらの喫茶店で、カウンター席に座り、このクッキーが美味しそうに見えたので頼んだら、これまた絶品でした~~!!
そして外に出ると、お店の前の通りで「余市」が始まることろだったのです。
少し雨が降ってきたのですが、しその実のふりかけと、煮豆が美味しそうに見えたので、開始時間前ですが立って並んでいると、またこのお店屋さんのご夫婦が、あったかくてねぇ~~♡♡♡
お客さんに待ってもらっていることが、相当申し訳なさそうで、雨に濡れるからこっちに入ったらいいですよとか、ごめんなさいねぇ~~雨降っちゃって、とか etc
商売っ気のない、ごくごく普通のおじさんおばさんたちが、心からおもてなししてくれるその姿に「うんうん、これ、これ!!これがニューヨークタイムズに取り上げられちゃう、根本的なところだよねっ♪」と、また確信を得るわけですw。
もちろん素朴な、しその実のふりかけも、煮豆も美味しいし~~、ついでにパンと、おにぎりなどなども追加で買ってしまいました!
もうすっかり、盛岡の空気に浸ってしまった頃、そろそろ帰る時間です。
最後に盛岡駅に向かう途中で、この開運橋の最後のコメントにグッと来てしまいました。
「盛岡へ転勤してきた人が開運橋を渡りながら、遠く離れたところまで来てしまったと涙を流し、再び命を受けて盛岡を離れる際には、今度は去り難くて開運橋の袂から岩手山を見上げて涙を流すというものです。」
これは、やられてしまいましたね・・・
私なんか、3日間の岩手旅行で、そして1日だけの盛岡でも、そうなりかけてるのに・・・
というか、この3日間が、約1か月ぐらいの濃さがあったのは、確かで・・・
それを深く感じてしまったわけです。
細かい雨も降ってきて、とぼとぼと歩いていると、3日前のあの駅前広場が見えてきました。
また来るんだから、泣かないんだからね!
だって、あの岩手山には、まだお会いできてないし~~♡
長い間、お付き合いありがとうございました!!
今日も素敵な一日を、お過ごしくださいませ♪