「カントと地理学」を読んで。
哲学書にありがちな、ややっこしい言葉の羅列はよくわからない。
ただ、こんな本が「ある」ということ。
そして、一般常識的な「カント=哲学者」という枠を取っ払い、俯瞰されることなく細分化され部分に偏っていく「学問」の現状と、その「学問」の教授法として暗記中心の「教育」の在り方を、考えさせられる一冊だった。
カントは生地ドイツのケーニヒスベルク大学で、地理学の講義を48回おこなっている。論理学54回、形而上学49回、道徳哲学28回、人間学24回、理論物理学20回と比較すると、カントが地理学の重要性をいかに訴えていたか。
また、他の章でカントは「世界認識の予備学=地理学」と謳っている。
まず、表紙を開けると、この文章が飛び込んで来る。
地理学という科学の復興は・・・それなしでは一切の学問が単に手間仕事になってしまうような、知識の統一を創造するであろう。イマヌエル・カント
1、「地理学」は「科学」であること。
2、「地理学」なくしては学問が「単なる手間仕事」になるということ。
3、「地理学の復興」=「知識の統一を創造」するということ。
そのすぐ横に、こんな文章もある。
地上高くそびえる塔、およびそれにも似た偉大な形而上学者、これら両者の周りには共通の烈風が吹いているが、それは私に当てはまらない。私の座する所は、誰もが座する実り多い場所、すなわち、経験という低地である。
― イマヌエル・カント
カント自らの位置は、「偉大な形而上学者」ではなく、地上に密着した「実り多い場所=地理」、それも「経験という低地」に「座している」といっている。
その横にあるのは、ベーコンの言葉。
世界の場所についての知識は、哲学にとって、無限の利益がある。
― ロジャー・ベーコン
ベーコンは他の章で、こんなことも言っていた!
自然の歴史(地理学)は、やり遂げられなければならない。この方法でのみ、真の生きた哲学の基礎が確立されるからである。その時は人々が深い眠りから醒め、そして直ちに、機知の作り出した独断や虚構と真の生きた哲学との間にどれだけの相違があるかに気づき、また、自然研究に際して自然自身に聞くことの重要性を知るであろう。 ー ロジャー・ベーコン
1、「地理学」の方法でのみ、「真の生きた哲学の基礎が確立」される。
2、その時「人々が深い眠りから醒める」=現在、眠っているということ。
3、現在は「機知(その場でとっさに働く知恵)の作り出した『独断』や『虚構』」の中にいて、「真の生きた哲学」との間に「どれだけの『相違』があるかを気づく」ことができるだろう。
4、自然研究は「自然自身に聞くこと(=地理)の重要性」知るということ。
そう、現在は機知の『独断』と『虚栄』の中にいて、眠っているということなのだ。
そして真の生きた哲学の基礎は「地理学の方法」でのみ、確立されるということだ。
ついでに、他の章でカントは、こうも言っていた。
不健康なまでに自我に没入することは、外界への興味に立ち返ることによってのみ克服され得る。
現在私たちは、ある意味不健康なまでに「自我に没入」しているのではないだろうか。まるで見えない力によって、時代的な社会全体の流れに押されるままに・・・。
その自我に没入する「観点」を、自分以外の「外界」に移動させること。
それを「空間」である「地理」に、「興味を立ち返させる」ことによって「のみ克服可能」だということだ。
この本(学位論文)の著者であるジョセフ・A ・メイは、地理哲学・中世およびルネッサンス初期の地理・人口論を専門とした。
メイは1958年シカゴ大学哲学修士を得て、地理学に興味を抱き自分で図書館を持てるほどの蔵書を集めて読みあさり、1963年ウェスタン・オンタリオ大学地理学科で地理学修士を修得。1965年からトロント大学地理学講師となり1985年の退官まで在籍。自己の研究の到達点を記すべく1967年トロント大学哲学科に、この学位論文を提出した。
メイは現代地理学界に、批判精神を導入したカントそのものだったという。
地域によって自然や人間生活が異なるという素朴な認識論。「地理」という言葉は万人を納得させるに十分な郷愁の響きを持つ。ー J.A.MAY
だから今、この時代にこそ、空間(地理)に対する理解が私たちには必要だ。
以下、ここにジオヒス☆エッセイ「沖縄」の一部を貼り付けよう。
海の中の魚は海という環境があってこそ泳ぐことができ、その海の状態に影響を受けて生活をする。
そして魚自身も、どんな認識を持って海と出会うのかによって、海との関係性が変わる。
地球という母なる大地のもとに、私たち人間は生きている。
私たちはどれだけ母なる大地を意識し、認識しながら生活しているだろうか。
そもそも、母なる大地の一部分である地域のストーリーを、どこまで知っているだろうか。
そろそろ、この関係性を回復して、その温かい懐の奥深い全てと出会い、時空間共に新しい時代を創出する時が来たのではないだろうか。
だからこそ、母なる大地であるその地域の「歴史」と「地理」のストーリーを通して、その地域の「尊厳」という無限なる可能性に焦点を当て、紐解いていきたい。
個人的には、ここ3年間の激動の中で「国家」とは何か、「民族」とは何か、「宗教」とは何か、「哲学」とは何か、「科学」とは何かなどの方向性が、この本を通してより明確になった!
私たちは現代人の「自我に没入する」観点を、人類歴史を通して必死に生きていた先人たちの「歴史」を通して、「時間」に観点を移動させ・・・
同時に、人類と共に苦労してきた母なる大地である「地理」を通して、「空間」に観点を移動させて・・・
機知の作り出した「独断」や「虚構」の中から、地理学の「真の生きた哲学の基礎」を通して人々が深い眠りから醒めることができるよう案内したい。
何よりも、「歴史」が感動のストーリ―であるからこそ・・
この地球の「地理」が、美しすぎるからこそ・・・
いろいろな地域を開拓し、開発していきたいと心から思う。
そしていつか、これら内容の全てを「絵本」にして、子どもから大人まで・・・いや、お腹の中の赤ちゃんの胎教から、読み伝えていけるようなものにしたい!!