莫切自根金生木①~上から読んでも下から読んでも
黄表紙、「莫切自根金生木」は、「きるなのねからかねのなるき」と、上から読んでも下から読んでも、いやいや、この文は横書きだから、左から読んでも右から読んでも「きるなのねからかねのなるき」と同じになる。「竹やぶ焼けた」(たけやぶやけた)も左から読んでも右から読んでも「たけやぶやけた」。こういう文を「回文」という。
回文をタイトルとした「莫切自根金生木」は、唐来参和作、千代女画で、天明五年(1785)に蔦屋重三郎から刊行されている。
全三巻の作品を三回に分けて現代語訳する。
上巻
序
ことわざに「貧の病」あり(貧乏は病気のように苦しいものだ)。「持ったが病」あり(金を持ったために苦労や悩みがふえる)。「金が敵」というそばから、「たった三百両で殺すのか」というけれど(芝居のセリフ)、三百両はありがたいと思えども、計算すれば不足だらけ。何がなにやら難波まで、金を求める方々に、足ることを教えんと、この草紙を、友人、唐来参和が、かわらぬ春の黄表紙に、口から出ること書き記す。
和光同人
一
ここに、皆様ご存じの金々先生のまた隣に、萬々先生というものあり。宝物が蔵に満ち満ちて、代々ぜいたくに暮らしていたが、なんでもかんでも自由に手に入るのがいやになり、三日だけでも貧乏をすれば、少しは心も晴れるだろうと、家に伝わる大黒様を引っ込め、貧乏神の絵姿を飾り、三隣亡などの悪い日を大切にし始める。
妻「旦那の顔も、このごろは貧相になってきたね」
手代「さればでござります。これでお家もだんだん衰えることで、おめでとうござります」
手代「捨てられる神あれば、助けられる神もありがてえか」
萬々「おんぼろおんぼろ、貧乏なりたや、そわかそわか」
女中「おととい来い来い」
二
萬々は、貧乏神の信心も効果がなく、いろいろ考えて、なんでもかんでも金を貸して、返済をいいかげんにしたら、金もちょっとは減るだろうと、「金貸し」の高札をかかげ、来る人、来る人に貸し出す。
萬々「ご返済のあてがあるかたにはお貸しできません」
女「私は女ですから、証人がいりますか」
萬々「ちゃんとした証人がいるかたにはお貸しできません」
女中「これで今朝からウソ八百二十八人まで数えたが、後は覚えちゃいないよ」
箱をかつぐ男「こはだのスシ、あじのスシ。ここにこんな絵があるとは、なかなか味なものだろう」
三
金は貸すものの、金蔵の金は百分の一も減らず、これではならじと、またまた工夫をめぐらせば、昔から金持ちがおちぶれるのは、傾城買いだろうと、きゅうに遊里の遊びをこころざし、見た目は立派だけれど、実はお金のなさそうな、欲の深そうな女郎をさがし、最初の日からやまぶき色の小判をまき散らし、三百六十五日通いつづければ、傾城だけに、家の城が傾くのが楽しみだと思いけり。
遊女「ええ、なんとなんと、きんざんさんからお呼びがかかっているそうな」
萬々「福は外へとんでいけ~。鬼は内~、鬼は内」
男女「これはありがたやまぶき色」
のぞいている客「あの金は木の葉じゃねえか。それでなければ盗んだ金か。どっちにしても嫌みなことよ」
四
萬々は、最初の日から次から次へと金をまき散らし、これで少しは減ったかと思うけれども、思いのほかに金を使うので、これはなにかあるかもしれないと、遊女屋の主人が指示を出し、まき散らした金を全部集めて、残らず返す。
男「おめえ様は、それ、通だとかおっしゃるけれど、金はもとにかえる金」
萬々「ほんに、金は困ったものだなあ」
女「わっちどもも、いただきとうはござりますが、こんなにもらえば、どこで何を言われるかわかりません」
五
女郎屋の仕打ちにしょぼくれ、夜の明けるのを待ちかねて帰る。途中で駕籠に乗れば、先に乗った人が忘れたのだろう、四五百両もサイフに金があるではないか。めったなことを言えば、こいつも押しつけられるだろうと、知らぬ顔をする。
駕籠かき「私どもは、毎日ちゃんとかせいでいるので、そんなにいただくとバチがあたります。お慈悲でござりますから、もうチップはごかんべんを」
萬々「それでも、チップは、なにがなんでもやらねばならぬ」
駕籠かき「相棒、くださらぬようにお願い申せ」
六
萬々は、駕籠からおりて、鼻歌を歌いながら歩くと、後ろからさっきの駕籠かきが、駕籠の中に落ちていたサイフを持って追っかけ、無理無体に押しつける。いろいろ言い訳しても聞き入れず、最後はケンカとなる。
駕籠かき「いらねえと言うなら、そのツラへぶっつけるぞ」
萬々「知りもしないサイフを押しつけるなんて。なんてやつらだ」
こうして金が減らぬままで次回へ続く、
「きるなのねからかねのなるき」のように、上から読んでも下から読んでも同じ回文は、「竹やぶ焼けた」(たけやぶやけた)のほかに、確かに貸した(たしかにかした)、私負けましたわ(わたしまけましたわ)などがある。
現代でも、「軽い機敏な子猫何匹いるか」(かるいきびんなこねこなんびきいるか)(土屋耕一「軽い機敏な仔猫何匹いるか」)などがつくられている。
回文についてはこちらも見てほしい、
本作品でも「金々先生」が出てくるが、黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼」の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もある。
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