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百人一首むすめふさほせ めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな

やっとあなたに巡り会い
やっとあなたと認めぬうちに
雲に隠れた夜半の月


 百人一首の一字札、「むすめふさほせ」の「め」


57 めぐりあひて見しやそれともわかぬ雲隠くもがくれにし夜半よわの月かな  紫式部むらさきしきぶ


 久しぶりにあえたというのに、それがあなただと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまった。まるで雲にさっと隠れてしまう夜半よわの月のように。

 元歌の「新古今集」には、久しぶりにあった幼なじみが、月と競うようにすぐに帰ってしまったので詠んだ、と書かれている。
 詞書ことばがきには、「早くよりわらはわらわともだちにはべりける人の、年頃としごろへて行きあひあいたる、ほのかにて、七月ふみづき十日のころ、月にきほひてきおいて帰りはべりければ」。
 訳は、「幼馴染の人が久し振りに来てくれたと思ったら、ほんの少しいただけで、七月の十日のころ、月と競い合うようにして(この頃の月、月齢10日の月は、深夜0時頃に沈む)帰ってしまったので」。

 「めぐる」は「月」の縁語えんご縁語えんごは、関連する意味の言葉を出すこと。「めぐる」とくれば「月」。言葉遊びの一つ。「月はめぐる」の「めぐる」から、「めぐりあひて」をだす。あなたとめぐりあった。
 「見しやそれとも」は、「見たのがそれかどうかも」。「それ」は、月とあなた(幼なじみ)の両方をさしている。
 「わかぬ間に」は、「わからないうちに」。
 「雲隠れにし」は、月が雲に隠れてしまうこと。あなたの姿が見えなくなった意味も含んでいる。
 「夜半よわの月かな」の「夜半」は夜中、夜更け。「かな」の部分は、元歌の「新古今集」では「月影」となっている。

めぐりあひて見しやそれともわかぬ雲隠くもがくれにし夜半よわ月影つきかげ

 「月影」の「影」は、光と影の影ではなく、月や星の「光」の意味。意味が今とはまるで逆になる。「月影」で「月の光」。月の光が雲に隠れてしまった。
 「星影さやかに静かにふけぬ♪」(キャンプファイヤーで歌う「星かげさやかに」)は、「星影」の「影」が「光」なので、「星の光も明るくくっきり(さやかに)見え、静かに夜が深まった」という意味。

 作者、紫式部は、「源氏物語」の作者でもある。「源氏物語」は平安時代(794~1185頃)に女性の手によって書かれた長編小説。この当時、長編小説は世界でも書かれていない。


 800年頃に「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」が書かれているが、これは作者不詳。何人かの手を経たものと思われる。ボッカチオの「デカメロン」は1348年、施耐庵し たいあんの「水滸伝すいこでん」は1400年頃。呉承恩ごしょうおんの作といわれる「西遊記さいゆうき」が1580年、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は1597年。これらの作者はみんな男性。女性の地位が低かった時代に、女性である紫式部は、主人公、光源氏の父母から子どもたちの時代までを一人で描ききっている。
 紫式部は1008年~1010年正月までの「紫式部日記」も描いている。


 そんな大文豪なのに、生年月日もわからないし、本名もわからない。紫式部の「紫」は、「源氏物語」のヒロイン、紫の上むらさきのうえを意味している。「源氏物語」という書名も、当時は「紫の物語」とも呼ばれていた。「紫の物語」を書いた、「式部」の位の家の女性という意味の名前が「紫式部」。
 ちなみに、紫式部のライバル、「枕草子」の清少納言も、清少納言の「清」は、清原さんの家という意味。清原家は何軒もあるけど、「少納言」の位を持っている家の娘、という意味の名前。女性が活躍していながら、その女性の本名も生没年もわかっていなかった時代。

 作者のことがわからないから、いろいろな伝説もうまれた。けれど、そんな雑学とは別に、作品は作品として生きている。この和歌の、すぐに帰ってしまった相手も、幼なじみが文献的には正解だとしても、愛しい恋の相手と考えても歌は成立する。
 愛しい人にやっとであえたのに、あなたはすぐにどこかへ行ってしまったの。
 そういう歌と考えてもよいだろう。
 文学作品は、文学史的な正解とは別に、読者にとっての正解もあるだろう。恋の歌と考えたほうが理解しやすいかもしれない。

 読む人それぞれの感性と思いで百人一首は現在でも楽しむことができる。



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